クリエイト速読スクール体験記 '17

学習能力の低下を補うために

平成29年度司法試験合格

布施 景子

第1 合格

 「布施さん」

 法務省の掲示板で自身の番号を確認していたら、呼ばれた。振り返ると同じロースクールの友人がいた。「自分の番号を見たときは涙が出なかったのに、布施さんが掲示板で自分の番号を見ているのを見て泣けてきた」と、事情を知る友人は涙をたくさんたくさん流してくれていた。

第2 受験したい気持ち

 受験しよう、と二度考えたことがある。一度目は法学部生のときで、二度目は会社員のときだった。

 法学部生のときにも、司法試験を意識したことはあった。しかし、当時経済的事情で常に3つ以上のアルバイトを掛け持ちしているような生活をしており、中途半端な勉強しかしていない自分自身に学費の面も含めて自信が持てなかった。また、当時できたばかりのロースクールにかかる学費に対しての推定合格率、最終的に法曹として就職することのできる人の数、受験回数を3回に限るという当時の受験制度の詳細を総合的に検討したところ、撤退すべきだと考えた。それに、職業が法曹でなくとも、素敵な仕事は多くある。法曹に固執する必要はないと思えた。そこで、ある鉄道会社に就職した。一生その会社で働くものだと思っていた。

 入社して4年後、裁判の業務に出会った。思い返してみても、大きな訴訟の担当となった。知識のなさを痛感して、もう一度勉強したいと感じた。また、人事課以前に配属された各現場で初の女性の乗務員となる経験をし、「女性なんかにハンドルをとられてたまるか」と言ってはばからない男性陣に出会い、鍛えられるなか、組織に対して疑問を抱いてもいた。このときの30代手前という自身の年齢、仕事を続けながら勉強をしたとしても必要な勉強時間の確保ができないこと、学費は預貯金でどうにか工面できそうなことを加味して、ロースクールに進学した。

第3 速読を始める

 速読に向かった要因は、2点ある。もともと習いたかったことと、学習能力の低下を補いたいという気持ちがあったことの2点である。

 もともと、会社員の頃から、速読を習いたかった。なぜなら、仕事をとても早く終える上司が速読を習っていたからだ。さっと文書に目を通し、淡々と事務処理をすることができれば、残業する必要もなくなり、その分時間を有効に活用できそうだった。法律家も大量の書類をいつも抱えているイメージがあった。速く読めるようにしたかった。

 ロースクールに進学してすぐに学習能力の低下に気づいた。昔は、塾などに通ったことはなく根を詰めて勉強した覚えはないものの、進学校に進学できていた。おそらく、一度読んだり聞いたりしたことを忘れない記憶力があり、計算課題等に没頭する集中力があったおかげだった。使わないうちにその能力を失っていた。法学部でつけた法律知識の大半も失っていたが、学習能力自体の低下の方がより早急に解決すべき課題だった。吸収しなければならないことが膨大にあるのに、集中力や記憶力が低下した状態は心許ない。わくわくしながら何の抵抗もなく新しいことを覚えていた子どもの頃が懐かしかった。

 もともとの気持ちと、早急に学習能力の低下を食い止めたい思いが重なるなか、インターネットでクリエイト速読スクールのホームページを見つけた。「1984年創立」の文字が目に入った。自分が生まれた年と同じ年だった。体験で、担当講師から説明を受けた。正直そうなひとだと感じてそのまま通い始めた。

 身内に訴訟ごとがおきたのは、その後のロースクール1年の後期のときだった。条文通りの淡々とした手続きの流れのなかで、家族は苦しんだ。

 教科書を開いても頭に入ってこない。ひとの抱える苦しみ悲しみを目の当たりにし、家族のことを考え、感情が循環する。「将来のことを考えたらいい経験になるよ」そういった慰めることを意図してかけられた言葉にすら感情を乱されてしまうことがあった。集中ができずはかどらないときは、無理して詰め込もうとせずに教室に通った。文章演習講座も受講した。事情を知る桑田さんは、折に触れて気にかけてくれた。

第4 トレーニング

1 速読

 クリエイトの速読は、各種適性試験等ではかられる事務処理能力をあげるように工夫されている。実は、一度高校時代に進路を専門学校に定め、勉強しなかった時期がある。このとき、もっとも遠ざかった科目が数学で、そのためかロジカルテストが最初全然できなかった。しかし、司法試験の問題の解き方は数学で証明するときの頭の使い方と似ている。小中学生の頃は、問題を解いたときのすっきり感にかつては病みつきになっていたのに情けない。ここは今後もしっかりやらねばならないだろう。他方、イメージ系の科目は昔から本を読むことが好きだったためか、訓練開始後しばらくすると、急速に伸び始めた。判例集を読むときなどの事案の把握に役に立った。今後も速読力には助けられると思う。

 教室の通いかたとしては、あくまで集中できないときの補助的位置づけで、通うことにしていた。時折、「速読をすれば受験に受かりますか?」と聞かれる。私は、正直だ。調子よく速読だけやれば受験に通るなどとは言えない。受験には受験のための勉強が必要であり、速読は、記憶する能力や理解のため必要な集中力等の学習能力をあげる訓練だと捉えるべきだと考えている。

2 文章演習講座

 多くの会社員にとって、文章力は必要不可欠なスキルである。文書を作成したり、メールで仕事を依頼したり。わからない文章を相手方に送るとたちまち問い合わせの電話に追われることになる。文章力をあげたいという願いが自然にわく。弁護士も裁判官も検察官も、文章を起案できないことには話にならない。そもそも、司法試験に受からないかもしれない。

 文章演習講座はスペシャルな裏技等を知りたいひとには向かない。文章をつくるに際して当たり前に守らねばならないことを腑に落ちるようにしてくれる。なかなか文章を作れない私にも真摯に松田さんは向き合ってくださった。同期の方々からの指摘にも耳を傾けた。上手な方の文章の展開の仕方を取り込もうと今でも試み続けている。同期のなかには覚えていてくださった方々もいて、わざわざ合格のお祝いをしてくださった。ありがたいことだった。

第5 受験勉強

 かつて法学部に在籍していたとはいえ、受験科目の8科目中3科目を受講したことがない上、民法94条等の有名条文についてどんなトピックがあったのか思い浮かばない状態にまでなっていた私は、3年間の未修コースを履修した。司法試験受験界の外にいる人たちからは「えっ3年も?」と言われるが、3年という時間は、ほぼ0地点から司法試験合格に到達するための期間としては短い。ロースクールの授業のための勉強もしなければならないからなおさらである。司法試験の勉強にあてられる可処分時間をどれだけ確保できるかというのがネックになってくる。それなのに私は、家族のことが気になりほとんど受験勉強ができない時期があった。気づいたら受験が直前に迫っていた。

第6 受験

 ロースクールの課題も終了し、司法試験の勉強に特化して勉強できる受験前の3か月間は、これまでの遅れを取り戻すべく1日15時間ほどの時間を勉強にあてた。この間母は実はがんになっていた。が、家族は私にそれを知らせなかった。具合が悪いこと自体は知っていて心配していたものの、私はほぼ何も知らずに勉強していた。どうにか受験会場に行き、5日間をこなし、終わったその数分後、弟からの知らせで、翌日手術であることを知った。勉強している間すべてを抱えてくれた弟と勉強を気遣い配慮してくれた母、父。何も知らなかった自分。何度も列車を乗り間違えて、実家に向かった。

第7 決めていること

 今後自身がどのような仕事をするのか検討もつかない。わかっているのは、合格したけれどまだ何一つ仕事をしていないことだ。合格は単に通過点を通過したことの証明にすぎない。それでも、ひとつ心に決めていることがある。とても大切な案件を自身が預かっていることを自覚して仕事をする、ということである。

 列車の運転士としてハンドルをもって間もないころ、共に乗務する師匠にこう言われた。「うしろを見て」。振り返れば、当たり前の日常があった。屈託のない笑顔で談笑する高校生、赤ん坊を抱いた母親、会社員、ご高齢の方。各運転士には、担当列車がいくつもある。無数の乗客に出会う。が、個々の乗客には各々の人生があり乗客を大切に思うひともいる。一瞬の判断ミス・操作ミスが全てを無にする可能性がある。また、何か起きたときに乗客を守るのは自分だった。かけがえのないひとの命と、彼ら彼女らを大切に思うひとの大切な日常を自身が守り預かることの重みとやりがいを師は教えてくれた。

 これまでお会いしたことのある法律家の誰もが皆忙しい。たくさんの事件を抱えている。ひとつの事件とは数ある案件のうちの一件かもしれない。しかし、依頼者にとっては人生の一大事だったり、一企業の重大問題だったりする。私は、そのつらさを知っている。忙しい、大変、しんどい、仕事をすると出てきがちなため息も、当事者の抱える問題に比べたらきっと小さい。心して仕事をすることで、支えてきてくれた家族、友人、先輩、同期、後輩、松田さん、桑田さん、講師の方々への感謝の意を示したい。