体験記

クリエイト速読スクール体験記 '97

持続する集中力

1996年税理士試験最終合格  押切加奈子

 クリエイト速読スクールを知ったのは、高校時代からの先輩の紹介によるものでした。当時私は税理士試験の行き詰まりを感じていたので、司法試験受験生である彼女に、集中力が持続しないこと、テストの際のケアレスミスがなかなか減らないこと等を相談しました。先輩は、クリエイト速読スクールのレッスンを受けたところ、集中力が高まり、今まで足りなかった司法試験択一式の試験時間が余るようになったこと、嫌いだった活字が好きになり、本を読むのが苦でなくなったこと等を教えてくれました。

 しかし、私は、速読には興味が湧いたものの、専門学校にも授業料を払っているのに、受からないからといってまた新しいことを始めるには、自分自身としては「わがまま」なのではないかと感じてしまうと正直に話しました。すると先輩は、今までの方法で受験に成功しなかったのであれば、新しい方法を採り入れることを考えるのも、重要ではないかとアドバイスしてくれました。「そういわれてみればそうだなあ」と思いつつも、家族に言えばきっと「インチキだ」とか、「そんなことより勉強しろ」と言われるのが関の山でしたので、秘密にして、とりあえず体験レッスンに行ってみることにしました。
 最初に体験レッスンを受けに行ったときは、案外アットホームな雰囲気だったので、安心しました(結構怖いところを想像していました。ごめんなさい!!)。レッスン後に後頭部が熱くなり、今まで眠っていた脳が目覚めたような感覚があったので、「これはもしかして効果があるのかもしれない」と思い、入学を決めました。この時も家の人には言えませんでした。

 レッスンはゲームのように面白く、また、今まで全く読まなかった小説の楽しさも味わうことができ、知的で楽しいものでした。10回程通ううちに、自分自身の学習時間に変化がでてきました。その変化とは、第一に、それまでは1時間と集中して自習室に座っていられなかったのに対して、2・3時間集中して勉強していられるようになったこと、第二に、問題文の読み落とし等がなくなり、ケアレスミスが激減したこと、第三に、頭に鮮明なイメージがくっきり浮かぶようになって、簿記の勘定の流れの把握が容易になってきたことでした。なかでも、集中時間の伸びには本当に驚きました。特に毎日のように続けて出席しているとその効果がてきめんに現れました。どういうわけがあるのか分からないけれど通っていると集中力が高まることは確かであるということは、実感できました。

 そのほかにも、「倍速読書訓練」のときに色々な本を読んだことによって得られた情報が、受験勉強の際の姿勢に役立ちました。たとえば、スポーツの勝負の際、「勝ち」のイメージをどれだけ鮮明にできるか否かが実際の勝敗をわけるほど重要であるということを知りました。今まで私は過去の受験の失敗をひきずって、「間違えたらどうしよう」という消極的な態度で模擬試験でもなんでも受験していましたが、その話を参考にして、意識的に模擬試験を本試験だと思い込み、その上で強気になって受験することを心がけるようにしました。
 このような調子で受験勉強を進めていましたが、やはり本試験の当日は緊張しました。といっても、試験時間が始まってからはクリエイトの「カウント呼吸」をして落ちつくことができました。また、ほかの受験生とは違うトレーニングをしているということが、自信につながって、以前のような弱気な受験はしないですみました。これらのことが今回のよい結果を導くことになったのだと思います。

 クリエイトを紹介してくれた先輩にも、先生方にも大変感謝しております。そして合格後、家族にクリエイトの話をしたら、現役で国立の医学部を目ざしている高1の妹にもレッスンを受けさせたらどうかと、両親の方から言ってきました。現在は、資格試験に自信がつき、勢いもついているので、他の国家資格も取得しようと思い、新たな勉強に励んでいます。

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心地よい知的疲労感

1996年度司法試験最終合格  野中英一

  1. 私が、速読に興味を持ったのは、5・6年前になる。その頃から、司法試験(短答式)は、いわゆる新傾向の出題が続いていた。問題文が長いし、穴埋め型や文章の並べ変え型のようなやたらと時間のかかる問題が多いのである。そのタイプの問題に弱くて、いつも問題をのこしていた私が短答式に落ちるのは不思議ではなかった。
    そんな折にクリエイトのパンフを手にしたのである。すぐにも飛び付きたかったが、「ここは、今一つ慎重にならねえとナ、インチキも多いという噂も聞くしナ」という声に従った。そこで、パンフにあったBTRメソッドを自分で試してみることにした。仕事の関係で池袋は通り道だし、無料体験講座に出てみることにした。百聞は一見にしかずというわけである。
  2. 実際に参加してみると、心地よい知的疲労感がのこった。その時点で、かなり、心は動いたが、もう一週間自分で体験講座のノウ・ハウに従って、通勤の車内や自宅で、新聞や判例集を速く読む訓練をしてみることにした。その結果、自分でわかるくらいに速く読めるようになった。
  3. そこで、授業料を払い込んで、週に2・3回、クリエイト速読スクールに通うようになった。もともと、のめり込み易いタイプである。1日に2回の授業を受けたことも多く、授業外でも日常の生活の中に速読を取り入れて、新聞その他の本でもできる限り、速読の訓練とした。だから、おそらく、1日に10時間くらいは、速読の練習をしていたことになると思う。
    そういった訳で、約2ヵ月の間に自分でも驚くくらい上達し、当初の5倍くらいのスピードになったのではないのかと思った。
  4. このようなスピードを手に入れて、一番嬉しかったのは、何といっても、宇宙や宗教・哲学に関する趣味の本を読む時間が作れたことだ。これまでは、司法試験の勉強しかする余裕がなかったのだから、私にとって革命的な事件だった。その意味では、人生の財産を築いたようなものだ(こういった蓄財は楽しいものなので、自然と人に勧めるようになり、私の勧めで何人か速読を始めた者がいる)。
  5. そうだとすれば、当然、司法試験の合格にも速読が有力な武器になったに違いないと考えられる方が多いと思う。しかし、それは、少し違う。というのは、確かに、私が速読をマスターしようとした動機は択一に合格したいからだった。だが、現実には、司法試験に最終合格した平成八年の短答式試験で60問のうち10問を私は残している。その理由は結局、短答式試験では、知識の正確さと判断力が勝負を決することに求められるのではないだろうか。その意味では、「速読をやれば、短答式試験に必ず合格する」とは言えない。
  6. だが、翻って考えるに、法律の専門書を普通の人の2倍のスピードで読めるのは、やはり、司法試験合格にとって有力な武器になったことは疑いない。
  7. 最後に、働きながら司法試験をはじめとする国家試験を勉強しておられる受験生の方、どうか頑張ってください。因みに私は22回目の最終合格だった。(短答式受験回数22回、論文式試験受験回数9回)

以上

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英語と速読

防衛庁職員  佐藤陽子

■体験レッスンに

 夕方の池袋。西武デパートの入り口前には待ち合わせの人があふれている。6時に、西武の前で友人と待ち合わせ。大学が近かったせいか私には池袋周辺に住んでいる友人が多い。人と会うときは、たいてい池袋で待ち合わせる。30分経ってもまだ来ない。何をするかこれから考えるには遅すぎるし、家に帰るには早すぎる中途半端な時間だ。この時間を有効に使えないものだろうか。
 池袋で学校にでも行こうかな、と思った。スクールの王道といえば英会話。また英語を習うことにする。私の行きたいときに行ける英会話の学校をみつけたい。とはいうものの、予約なしでフラッと出席できる英会話のスクールなんてそうあったもんじゃない。一校だけあるにはあったが、学費の面で折り合いがつきそうにない。そこで何かほかに面白そうなことはないかと思って、スクール探しを試みた。
 へェー、速読ね。面白いかもしれない。私は本を読むのは遅くはないし、これ以上速く読めるようにならなくてもかまわないんだけどお手頃価格だし一回見に行ってみようかな、という軽い気持ちで6時30分からの無料体験レッスンを受けてみた。

■ひまつぶしには最高

 レッスンは90分1コマで、まず文字を形としてとらえる訓練をシートを使って行う。それから記憶力を高める訓練をして、最後の30分間本を読む。本を読むことが一番楽しい。教室には、新刊や話題の本をジャンルを問わずそろえようとしている努力が感じられ、おかげで、はやりの本を自分で買う必要がなくなった。レッスンの時間は決まっているが、予約なしの完全フリータイムなので待ち合わせに振られたときや、暇なとき、まっすぐ家に帰りたくないときに気軽に出席できる。つまり、ここは私にとっては最高のひまつぶしの場所なのだ。静かに入ってくれば、遅刻も許されているみたいだ。なかには30分以上遅れてくる人もいる。一度だけレッスン中にポケベルに連絡が入ったことがある。電話かけたいんだけどどうしよう。途中で抜けてもいいものだろうか、と迷っていると、親切なスタッフが電話を使わせてくれた。いたれりつくせりで私のためにあるような学校だ。生徒が少ないときは、香ばしい玄米茶がでてくる。このお茶を楽しみにしているのは私ひとりではないだろう。

■どんなひとが参加しているのか

 レッスン中は、ひとりの世界である。結果は数字で現れるので、本当はできないのにできたような気分になることなどありえない。生徒のなかには信じられないような数字を出す人もいるが、あくまでも自分の問題であるので他人との比較は意味がないし、気にならない。
 ほかにはどんなひとが速読を身につけようとしているのだろうか。実はよくわからない。どうやら資格試験を受験するひとで、勉強の能率をあげようと思って出席しているひとが多いらしいが、周りの人に話しかけたことがないのでわからない。無理に誰かと友達になろうとする必要はない。友達なんかいなくてもレッスンに参加するのは楽しい。

■英語と速読

 私の英会話スクール遍歴はちょっとしたものである。日米英会話学院に2年間通ったところから始まって、NCB英会話教習所、日本外語専門学校、リチャードハン・スピーチアカデミー、くもんぴあ、YMCAなどで勉強したことがある。ほかにもいくつかの学校に通ったことがあるが、全部は思い出せない。今現在は、英会話の早朝個人レッスンを受けている。日米の2年間でもう十分できるようになったにもかかわらず、なぜ英会話スクールに通い続けなければいけないのか。それは「勉強しないと忘れてしまう」という強迫観念にとりつかれているからだ。クリエイトに通うことは、私にとって、英語以外の学校に通う初めての経験であった。
 全く予期していなかったのだが、回数を重ねるうちに、クリエイトの訓練は英語学習に大変役に立つことに気がついた。改善された点が2つほどある。1つめは、英語を読んでいても前より疲れなくなったことだ。以前はジャパンタイムズ一面を読もうとしても、疲れて全部読み切れなかったが、今では新聞全体に軽々と目を通すことが出来るようになった。2つめは、英単語を楽に覚えられるようになったことだ。いわゆる「試験に出る単語」に載っている英単語とその意味を覚えることは不可能だった。ただ単語だけを覚えるなんて単調なつまらない作業は出来なかった。単語は文脈でしか覚えられなかった。それが今では、一目見て覚えられるわけではないが、以前よりずっとスムーズに頭に入るようになった。
 クリエイトで授業を受けたからといって、自分の英語力が伸びるわけはないのだが、英語がよくできるようになったような錯覚に陥ってしまう。勘違いついでに、過去に何度か「不合格A」をもらったことのある英検1級をもう一度受けてみようという気になった。

●佐藤陽子さんは、平成10年第1回英検にて見事1級に合格しました。

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読書嫌いに贈る

歯科技工士  尾崎正博

1.私も読書嫌いでした

 私、クリエイト速読スクールに来る前、恥ずかしい話、読書嫌いでした。正確にいうと、本は好きなのだけれども、読むのがつらい。1時間に30ページくらいしか読めないし、非常に疲れてしまう。頭がいたくなる。自然、読書から遠ざかってしまう。ちなみに、体験入学させていただいたとき、読書スピードを測定したのですが、1分間に1000字はザラにいて、一般的には600字で普通という中で、やさしいエッセーでも571字という具合でした。私の場合、速い、遅いということより、むしろ、読んでいて疲れない、楽しく読める、集中力が持続する、それが受講の主な動機でした。
 結論からいうと、今は楽に、楽しく読めるようになりました。しかも、受講前の5~6倍も速く読めるようになりました。本音を言えば、2倍になれば充分と思っていました。振りかえってみて、こんなに伸びたのは、やはり一年間40回のコースを続けたということに尽きると思います。ですから、私と同じ悩みを感じている方のために、受講に当って心がけたことなどを幾つかお話して、お役に立てていただければと思います。

2.受講に当って心がけたこと
(1)日常生活の中にクリエイトの時間をなるべく規則的なリズムで入れる。

 無理な計画をたてず、日常生活の中にクリエイトの時間が自然に入るようにしました。私の場合、だいたい一週間に一度のペースで休日の土・日のいずれかに出席しました。すると1ヶ月で4回、10ヶ月で40回で終了ですが、そう計画通りにはゆかない。休みたいときもある。そういうときは気分を大切にして休む。2ヶ月分はそのためのものだと割り切ればよいと思います。時間帯もだいたい決めて、私の場合、1日で一番調子の出る、午後すぐの時間と決めていました。それと、1週間に1度の間隔で充分のようです。その間、自分なりに、思い出して反復練習すればかえって効果が出るようです。

(2)結果をいそがず、ゆっくりと。

 速読の効果が出はじめるのは、コツをつかみはじめた20回をこえたくらいからでした。それまでは辛抱、辛抱。結果をいそがず、ゆっくりゆきましょう。

(3)完全を目ざさない。

 得手、不得手があって当たり前。私の場合もイメージ記憶訓練は最後まで苦手でした。そのかわり視野を広げる訓練は得意だったので、そっちのスコアーを伸ばすように心がけました。完全を目ざさず、欠点も自分らしさだと思って、くよくよせず、続けてゆきましょう。

(4)小さな進歩を実感していく。

 周りの生徒さんの出来、不出来にとらわれず、1回1回の小さな進歩を「素晴らしい成長だな」と素直に実感してゆきました。なかなか、測定した数値は伸びてゆきませんが、それでも、10回、20回と回を重ねてゆくうちに、3回前、5回前、10回前の自分と比べてみると、やはりよい方向に変化している。ちなみに、かなBP(ブロックパターン)シートという訓練の数値をみると35コ(体験)、39コ(1回)、33コ(2回)、56コ(4回)、66コ(7回)、75コ(13回)、65コ(46回)、76コ(17回)、109コ(18回)、104コ(23回)、119ココ(28回)、104コ(30回)、120コ(38回)というように伸び悩んでいるときもあるけれど、やはり確実に伸びている。成長の喜びを子供のように味わう気持ちを大切にしました。

(5)継続は力なり!

 やはり、継続は力なり!ダメだった私がこれだけ伸びました。講習システムは大丈夫です。講師の先生方も信頼できる方々ばかりです。安心してトライしてみて下さい。

3.教室の雰囲気

 「ストップウォッチが動いている時だけ集中してくださーい。後はあくびをしたり背伸びをしたりしてリラックスしてくださーい」と講師の方々はおっしゃいます。訓練・訓練と凝り固まらないで、のんびりする時間をはさんで集中していくのです。勘のよい人ならすぐ感じることだと思いますが、この教室には、じめっとした暗さがありません。講師と生徒の質が高いからと言えばそれまでですが、それはよく考えると、やはり講習システムに対しての信頼関係が成立しているからだとおもいます。
 私がこの教室に決めた理由のひとつに、パンフレットにのっている教室風景で1枚も生徒さんの背後からの写真がなかったということです。皆ここで学んでいることを恥かしくおもっていないと感じました。信頼関係が成立しているのはそういうところからも分かります。

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学習密度が向上した

1997年慶應義塾大学商学部合格 久保宏樹

 高二の冬にSEGで開講されたクリエイトの「講座」を受講し、そのおもしろさに魅かれて、池袋の教室に通いたいと思った。しかし、これから高三の受験生になる。受験生ともなれば、塾・予備校に足繁く通わねばならないし、とても池袋に通う時間的余裕はないのではと迷いもした。

 迷った末にクリエイトへ通うことになったのだが、通ってみて私の不安は一気に解消された。それはクリエイトで、毎日の勉強に必要な集中力(これが受験で一番大切なのだ)・情報処理能力・記憶力を鍛えてもらったおかげで学習密度が上がり、結果的に勉強時間がそれまでの3分の1に短縮されたからだ。

 一般に難関校へ合格するには1年で約1000~1500時間の「受験勉強」が必要であるといわれている。しかし、私は400時間程度で完了することが出来た。1年の間に、ほぼ週2回ペースでクリエイトに80回ほど通った。行き帰りの電車の時間なども考慮すると、200時間くらいを費やしたわけだが、それでも差し引きすると相当な自由時間を獲得できた。大学受験だからといって生活スタイルをそれほど変えることもなく、マイペースで楽しく過ごせた。

 クリエイトの訓練は、あれもこれもという欲張りタイプには、これからの時代の必須アイテムだと思う。訓練内容は、結果としては速読の訓練であるが、そのプロセスにおいては、受験勉強に必要な能力開発トレーニングとなっている。目前のことに必死になることは重要だが、問題は必死の中身である。感情的に必死になって悩んでいるばかりではなんの問題解決にもならない。基礎体力を向上させるためにランニングやアスレチックに励むように、知的な作業をするためには、やはりその前に「知的な訓練」をしなければならないのではないだろうか。

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文章演習講座Cクラス体験記 「読むこと」と「書くこと」の呪縛

第15期 盛田真紀子

恥ずかしい癖

 裸は恥ずかしい。
 文章は裸より恥ずかしい。だが、裸より癖になる。
 裸はいったんなってしまうと取り繕いようがないが、文章は取り繕いかたをあれこれ練ることができる。ところが、それによって取り繕うよりなお、お恥ずかしい結果になってしまうこともある。ああ。
 本格的に「癖」になったのは、仕事やもろもろに行き詰まって息詰まった、三年ほど前からと記憶している。小学生のころ、笑い話を書いて同級生にウケる味を覚えていたから、その二十年は潜伏期間というべきかもしれない。
 癖になったからといって、いつも書けていたわけではない。むしろ書けないことの方が圧倒的に多い。しかし「癖だなあ」、と思う瞬間がどんどん増えていく。それは、(1)友人との世間話で強引にネタを試してしまうとき、(2)電車の中吊りのコピーに思わず「先を越された」と思うとき、(3)時間があるのに何もしようとせずゲームに逃避してしまうとき、(4)(3)に同じく時間を潰そうと呑みに行って、後で自己嫌悪になるとき(大抵こういうときは喋りすぎる)、などなど、書くことに強迫された状態すべてである。

教養のない人間ゆえ

 自分ごときが癖になるぐらいである。
 想像通り、昨今癖になっている人間が多いらしい。新人賞の応募数は増え続け、文章読本は売れまくり、文章教室は大にぎわいとか(自分で見たわけじゃありません。雑誌テレビ等によれば)。で、それを嘆く声も多々あり。
―――貧弱な読書量の人間が、小説を書きたがっている―――そうそれはわたしのこと。
―――バイブルも源氏も、そしてプルーストさえもまともに読んでいないのに、文章を書こうとしている―――ああ、それもわたしのこと。
―――自己表現手段を持ち損ねた都市生活者の、安易な精神的民族大移動―――すみません、安易で……(フツフツ)……教養のない人間が書いちゃいかんのか?!
 反発はすぐさま納得に変わった。だから自分は書けんのだ、と。
 なにしろ読むのが極端に遅い。文芸春秋や新潮社が毎週雑誌を作っている速さに読む速さが追いつかない。新聞だって、記者が取材して記事書いてデスクがチェックして、校閲にまわって輪転機回って……(中略)……宅配される。まだ前日のが読みかけ。会社の机にはひと月前の中央公論が、通勤カバンには昨日の朝夕刊が。飛ばし読みのできない性格。ご飯を残したらお百姓さんがかわいそう、読まずに捨てたら、活字がかわいそう?
 あっ、くだらんことを考えているうちにまた芥川賞の発表が! 読まなければ。書評の切り抜きがたまってきた。図書館から借りた本はすでに延滞。
 このままでは、活字に追われて一生終わってしまう。「書く」までたどり着けない。
 ここまでが、速読に通いはじめた動機である。

どうしてそれを

 読んだから書けるわけじゃないが、読まなければ書けるわけがない。十分ではないが必要ではある。書くことの呪縛はそのまま読むことの呪縛になった。
 速読教室では自分は劣等生である。
 カリキュラムは客観的に納得できるものであり、事実周囲は着実に上達していく(ようにみえる)のに、自分はいっこうに速くならない。おそらく、能力ではなく性格のせいなのかもしれない。
 気づきかけたとき、松田氏に呼び止められた。
 「あなた、小説書いてるでしょ」
 ぎく。な、なぜそれを!!
 「持ってきて、読ませてください」
 めっそうもない。逃げるように教室を出る。

癖の第二ステージ

 しかし、次に来るときには「持ってきて」しまう。これぞ「癖」の第二ステージ。書きたい→読ませたい。
 それからが慌ただしかった。何だかわからないうちに、Cクラスの先生に拙稿を読んで講評をいただく機会まで得た。
 文章演習講座Cクラスの講師は、長らく編集の仕事にたずさわっていた方だという。
 プロの編集者。はっきり言ってこれは怖い。ど素人とプロの書き手の間に立ちふさがるのは、やはりプロの読み手である編集者だ。
 「文章になってない」「作文だ」「ありきたりだ」最低の言葉を思い浮かべ、ショックに備える。身ぐるみはがれる気分。
 ……予想に反して、大変丁寧な講評をいただいた。意外だったのは、文章の一行一行をつつかれるのでは、と思っていたが、あまり触れられなかったことだ。
 テーマを持続していく自覚が足りない、という大きな指摘に、はじめは少々戸惑った。直接、主題とからまない描写や流れをどう「自覚して」書くか。正直、難解な部分もあったが、いかに、今まで直線的に書き進めるので精一杯だったかに気づかされることになった。
 それにしても、これでホントにいいのか? 添削のような話を予想していたので、やっぱり訊かずにいられない。
 おずおずと「あのぉ、文章が下手なんですが」
 「文章なんて下手でもいいんだよ」え?!
 「……もともと、文学少女じゃないもんですから。その、いろいろ、知らなくて」
 「文学少女なんかじゃなくていいんだよ、別に」あら。
 この答えで、すっかり呪縛が解けるほどウブではない。しかし、何やら力みがとれたことは確かである。

第三ステージが呼んでいる

 肝心の文章演習講座だが、ここでは、前述の講評の時とは違って、一文一文を読み解いていく。文章についてまともに勉強したことのない自分にとって、言葉の一つ一つについてその意味や役割、効果などを分析する内容は、とりあえず新鮮だ。
 読むことと書くことが、単なる知識量を超えて結びつく。読み解く能力を得ることによって、無我夢中だった「書くことに自覚的」になれるような気がする。
 欲を言えば、小説でもエッセイでも「創作」を目指す人々がもっと参加してくれたらなあ、と思う。もっとも、論文などそうでないものを目的としている人の話も貴重である。創作なら創作希望者だけを対象としている他の文章教室にない魅力は、そういった意味では、あると言える。
 書きたい→読ませたい→自覚的に書きたい。「癖」は第三ステージに入ることができるのだろうか。

 盛田さんの小説『ニュートラル・グレイ』は、'98すばる文学賞最終選考作品となりました。