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体験記
クリエイト速読スクール体験記 '01
堂園昌彦作品集
付喪神(つくもがみ)たち
堂園 昌彦
子供の頃、夢中になって何度も何度も読み返した本があった。普段は目に見えない、変わった生き物を紹介した本で、僕はその変わった生き物たちの姿に魅せられたのだった。
本当にはいないはずのその生き物たちを探す内に、僕は隠れていた別の奇妙なモノを見つけた。それは生き物ではなくて、僕たちが使っている道具が動いている姿であった。調べてみると、昔から人間が使う道具には百年経つと魂が宿るという言い伝えがあり、それは付喪神と呼ばれ、妖怪の一種として扱われていたようだ。
それから僕が注意深く周りを見てみると、実に様々なモノが付喪神になっているのだった。どうやら百年という条件はただの言い伝えらしい。それに、彼らは妖怪というような恐ろしいものではなく、どれも個性的に生き生きと動いている。付き合ってみると面白い奴ばかりだ。ただ、もちろん中には少々困った奴もいる。
世の中にはまだこの付喪神の存在をきちんと知っている人は少ないようなので、これからこの変わったモノたちを紹介してみたい。そうすれば、あなたも付喪神たちの片鱗が、そこら中に潜んでいることにきっと気がつくと思う。
・パトカーのランプ
夜道を一人で歩くのはとても怖いけれど、地面近くを赤い光が動いているのを見たら、もう心配しなくても良い。それはパトカーのランプの付喪神が見回りをしている光だからだ。
ランプにそのまま手足が生えたような姿で、体長は手に乗るくらいである。だが、彼はとても生真面目な性格で付喪神になった今も市民の安全を守っているのだという。
これでも何人か空き巣を捕まえたこともある、と自慢をしていた。空き巣の方はランプそのものに捕まるとは思ってもいなかったであろう。
すれ違うときに「ご苦労様です」と言ってあげれば、喜んでくれる。
・室外機
ある真夏の日。僕は駅に行くために近所の道を歩いていた。その年の夏はとても暑かったので汗をだらだら流しながら歩いていると、あまりの暑さにぶっ倒れそうになった。いくらなんでもこれは異常だぞ、と思って横を見るとこの室外機の付喪神が一緒に歩いていたのだった。
この室外機の付喪神は、夏は暑い空気を、冬は冷たい空気を出す。しかも寂しがりやな性格で、何かと人について歩きたがるのだ。
もちろん、ついて歩かれた人間はたまったものではない。そんな時はすかさず建物の中に入ることを勧める。なぜか、室外機の付喪神は建物の中には入ってこない。
僕も近くのコンビニに逃げ込んだおかげでその時はなんとか助かった。しかし、その後ガラス越しに見えたのは室外機の付喪神の寂しそうな姿であった。
室外機が一人で生きていくことはできないのだろうか。
ちなみに春と秋には動くことができないらしい。まことに厄介でかわいそうな付喪神である。
・吊革
ある日僕はなんとなく疲れていて、ついつい下を向いて歩いていた。ぼぉっとしながら駅の階段を登ろうとすると、頭にコツンと当たるものがあった。思わず前を見ると、吊革の形をしたものがキャッキャッと言いながら走っていくのが見えた。それがこの付喪神との出会いであった。
この付喪神はいたずら好きで、建物や階段の入り口の所にぶら下がって誰かが自分に当たるのを待っているのである。そして見事に誰かがそれにひっかかると喜んで逃げる。ただそれだけの実にたわいのない付喪神である。
しかし、やられた人間はけっこう腹が立つ。特に人間は疲れていると、下を向いて歩くことが多いのでこの付喪神にひっかかりやすくなるのである。僕もその時はカッとしたが、相手はもう逃げてしまっているので仕方なくいらいらしながら家に帰った。
その後ある人にその話をすると、その人は「悪気があるわけじゃないんだし、許してあげなよ」と言った。しかし僕は、実際にやられてみなければこの気持ちはわかるまいと思っている。
・チョークの粉
僕が通っていた塾の隅の方に、いつも、なんだかもわっとしたモノがあった。教室の誰も気にしていなかったようなので、僕もそれほど気にせずにそれを放っておいた。
しかし、ある日、問題を解いていて皆が下を向いているときに先生が突然呟いた。「何だあれは」ふとその視線の先を見てみると、そこにはいつものもわっとしたモノがあった。どうやら先生はそのとき初めてそいつがいたことに気付いたらしい。周りを見渡してみると、級友たちも不思議そうな顔をして、そいつの方を見ている。中にはまだ何のことを言っているのか気付かない人間もいるようだ。僕はその時初めて、そいつの存在に今まで気付いていたのは、自分ひとりだったことを知った。教室がだんだんザワザワしてきたので、そのもわっとしたモノは気まずくなったのか、窓からすうっと出ていった。その後、教室内では「あれはなんだったのか」と様々な憶測が飛んだが、一週間もするとまた誰も気にしなくなっていた。特にもう何も起こらなかったからだ。
今ではそれが何だったかは分かっている。そいつはチョークの粉の付喪神だったのだ。塾や学校によく現れる奴で、教室の隅の方で目立たないようにしているのが好きらしい。どうやら純粋な知的好奇心で授業を聞いているらしく、僕なんかは見上げた奴だ、と少し尊敬してしまう。
だから、教室の隅にもわっとしたモノを見つけたら、その授業はおおむね良い授業と言ってもよい。
・表札
郊外の住宅地を昼間に歩いていると突然この表札の付喪神に呼び止められることがある。
彼らは非常に口うるさい。僕も一度捕まったことがあるのだが、まず着ていた服装を注意され、それから髪型、言葉遣い、持ち物、考え方、果ては人の顔つきにまで文句をつけられてしまった。余計なお世話であったが、気の弱い僕は何もできずに返事をしているだけであった。
人から聞いた話によると表札の付喪神の口うるささの度合いは元になった表札の大きさに比例するらしい。僕が出会ったのは、かまぼこ板を一回り大きくしたぐらいの奴だったが、それでも十分閉口した。
もし、道場の看板ぐらいの大きさの奴に出会ったらどうすればいいのだろう。
・ネジ
ある日僕が古いラジオを直そうとしていた時。どうしても必要なネジが一本足りなくて直すのを諦めようとドアを開けると、このネジの付喪神が廊下いっぱいにビッシリといた。
彼らは捨てられたり無くされたりして役に立たなくなったネジの集団で、何とかもう一度ネジとして役に立つ機会を探しているらしい。そこで、どこかでネジが足りない気配がすると、全員でその場に駆けつけるようだ。
僕のときもその集団の中から足りないネジの代わりになりそうな奴が一人いたので、使ってみると見事にはまった。僕はネジたちと一緒に声をあげて喜んだ。
再利用されたネジの付喪神はまた普通のネジに戻るようだ。しかし、そのネジはもう二度と付喪神になることはできないだろう。
・マネキン
マネキンはよく付喪神になるらしい。姿かたちが人間に似ているからであろうか。
僕が出会ったのはデパートでアルバイトをしているときで、一人で商品の整理をしているときに突然話しかけてきた。
彼女(女性のマネキンだった)はとてもおしゃべりで、ファッションの話や最近のアイドル歌手のことからデパートに対する文句まで延々と聞かされてしまった。
彼女によると、現役のマネキンの約二十パーセントが付喪神だという。よく皆で町に出かけることもあるらしいが、誰もマネキンだとは気付かないらしい。
それからしばらく、僕はどいつもこいつもマネキンに見えて仕方がなかった。
・人工衛星
夜空を彩る美しい星たち。その中に人工衛星の付喪神が含まれているのをご存知だろうか。ごくまれに光が星と星の間を縫うように動いていることがあるが、それがこの付喪神である。
この付喪神の驚くべきところは、こちらが何かをすると、反応してくれるところだ。どうやら宇宙空間からでも人を見分けられるくらい目が良いらしい。例えば、手を振ると横に小刻みに揺れてくれるし、紙にクイズを書いて見せると、「1」とか「2」のような簡単な記号なら動きで示してくれる。
この付喪神にはなかなか出会うことができないが、僕は眠れない夜にはいつもこの付喪神を夜空に探す。
・爪切り
ある時に僕の家の食べ物がいくつも齧られていることがあって、その犯人がこの爪切りの付喪神であった。
こいつは大変な食いしん坊である。その前歯でたいていの食べ物は齧ってしまう。しかも贅沢でどんな食べ物もひとくちふたくち齧っただけで食べるのをやめてしまう。だからこの付喪神が来た家は家の中の食べ物に齧り跡がついて回るのである。どうやらこの付喪神がこんな性質なのは、昔爪ばかり食べさせられていたことに原因があるらしい。
この付喪神はあまり一つの家に留まることはしないので、被害はそれほど大きくはならないであろうが、迷惑だと思う人は食べ物を置いてある所に磁石も一緒に置いておくといい。そうすればこの付喪神は絶対にそこには寄り付かない。
・座布団
たまにはちょっと僕の気に入っている場所などを紹介してみたいと思う。
東京と埼玉の境ぐらいのあるところに、住宅地と農地が半々ぐらいのそれほど大きくはない町があって、そのはずれの方に少し小高い丘がある。そこが僕の気に入っている場所だ。そこにはよく座布団の付喪神が現れるからだ。
座布団の付喪神は空を泳ぐ。きれいな空気の空が好きで、時には何匹もおなじ所でウネウネと泳いでいることもある。特に晴天の日にはよく現れて、日が暮れるとどこかに帰っていく。
僕は晴れた日にその丘で寝転がって座布団の付喪神が泳いでいるのを見るのが好きで、よくそこに行く。とても気持ちが良いのだ。僕は東京周辺で座布団の付喪神が現れるほど空気のきれいなところを他に知らない。
あまり人に教えるとその場所がうるさくなってしまうので、詳しい場所は秘密だが、暇な人は探してみても良いかと思う。
・亀の子タワシ
人から聞いた話だが、人があまり来ない小さな公園はよく亀の子タワシの付喪神の集会場になることがあるらしい。
この付喪神は夜中になると、どこからともなく十から二十くらい公園に集まってきて、何かを議論しているようだ。そして、夜があける頃になるとまたどこかに去って行くらしい。
ある人が興味を抱いて一晩中この付喪神の議論を聞いてみたところ、内容が難しすぎてよく分からなかったという。なんでも、生死の問題や、哲学のことを話していたそうだ。
この付喪神が去っていた跡には奇妙な図式や数式がいくつも残っているというが、残念ながら僕はまだこの跡すら見たことがない。
・ハズレ馬券
風の強い日には色々なものが舞っているが、その中のひとつがハズレ馬券の付喪神であることがある。
彼らは風来坊で風に乗って常にどこかを旅している。その範囲は北海道から沖縄にまで及ぶ。たまに風を読み損なって海に落ちてしまうこともあるが、そんな時もへこたれずに波に乗って帰ってくる。
彼らはとても気の良い奴らで、どこそこで何々を買ってきて欲しいと頼めばすぐに飛んで行ってくれる。しかし気まぐれなので、いつ帰ってくるかは分からない。僕の場合は名古屋のういろうに十一カ月かかった。
似たような外見の付喪神に切符の付喪神がいるが、彼らはなぜか旅が大嫌いのようだ。
・ガスタンク
あるとき、田舎を一人で旅していたら、遠くの畑の上を何かものすごく大きな丸いものが歩いているのを見て度肝を抜かれたことがある。それがガスタンクの付喪神であった。
近くにいた老人に「危ないから避難した方が良いんじゃないですか」と聞くと、「いや、ここいらへんは広いから心配ない。それにあいつも気をつけて歩いているみたいだしなあ」とのお答えであった。確かによく観察していると人家をよけて歩いているようだった。
しかしあの中にはガスが詰まっているのだから、まんがいちの時には大惨事になる。そのことを老人に告げると、もうあいつの中は空っぽなんだそうだ。しかし本人は自分自身にガスが詰まっていると思っているため、あんなに気をつけて歩いているとか。
しかもガスタンクの歩いて行くのは海の方角だ、ということを聞くと僕はなんだか物悲しくってしようがなくなった。
追補
・ゴミ箱
約2年前のことだが、僕の住んでいる町にゴミ箱が降り注いだことがあった。その日は朝から黒い雲がでていたのだが、昼過ぎになると突然、空からゴミ箱が降ってきたのだった。
僕はその日は家で本を読んでいた。朝の曇った空を見ると、もうどこにも行く気がしなくなってしまっていたのだ。読んでいた本は「老人と海」で、ちょうど老人がカジキマグロに銛を突き立てたときに、外でガコン、と音が鳴った。何だろう、とちらりと思って本の先を進めようとすると、ガコガコガコ、ガコン、とまたけたたましい音がした。いい加減に気になって本を置き、窓の外を見ると、凄まじい状況が始まった。赤、青、黄色、紫。様々な色のゴミ箱が降ってきたのだ。ガコ、ガコガコガコ、ガコガコガコドン、ガコガコ……。僕はあっけにとられてその奇妙な光景を見つめていた。通行人は大丈夫だろうか、という僕の考えなぞお構いなしにゴミ箱は降り続いた。道路や芝生の上に散乱しているゴミ箱がやけに美しかった。
ゴミ箱は約2分ほどで降り止んだ。僕が外に出てみようと靴を履き玄関の戸を開けると、さっきよりもっとすごいことが起こった。散乱していたゴミ箱が一斉に起きあがり、空にゆっくりと昇っていったのだ。僕はそれを前にして少しも動けなかった。気がつくと目の前の道路も芝生もいつも通りだった。空を見上げると急に雨が降ってきた。僕は家に入った。
後になって聞いてみると、近所の人は誰もそのことを知らなかった。きっと、ものすごく局地的なものだったのだろう、おそらく。
それから今まで同じ経験をしたことのある人を聞いたことがないので、これが付喪神かどうかはいまだに分からない。だが、僕はいつかきっと、もう一度この体験ができると信じている。
・ドアノブ
この間友達が、ドアノブが宙に浮いているのを見た、といったので場所を教わって、そこに行ってみた。僕の家から電車で20分くらいの所で、落ち着いた、静かでいい町だった。
その町のある暗い路地裏にドアノブの付喪神はいた。雑草が生えている空き地の真ん中の空間に、それは何気なく浮かんでいた。よくもまあ、こんなものが見つけられたものだ、と思ったほどだ。
試しにそのドアノブを握ってみた。ひやり、としていたが、その冷たさは僕の手にすぐに吸い込まれてしまった。そして僕はそのノブを回し、見えないドアを開いてみた。がちゃり、と音がした。しかし、当然の事ながら、その見えないドアをくぐってみても元の空き地だった。ノブは元の位置に浮かんでいたままで何もいわず、何もしなかった。僕は、こいつはこのままで良いのだ、と思い、そこを立ち去った。
翌日、そのことを教えてくれた友達に話すと、非常に驚いていた。──いや、そんな感じじゃなかった、俺が見たのはもっとこう、どこか変なところにつながっていそうな、禍々しい感じのものだった──
僕の見たものは彼のものとは違っていたのだろうか。いや、そんなことはない。きっと、僕が今と違う場所にいくにはドアノブだけでは足りないのだろう。たぶん、そうなんだと思う。
ネクタイ
堂園 昌彦
父の日にあなたは何を贈るだろう。いろいろなものが考えられる。お酒が好きな父親にはビールグラスや徳利などがいいかもしれない。タバコ好きの人にならライターもいいだろう。ハンカチやネクタイを贈る人も多そうだ。
しかし、あなたがネクタイを贈ろうと考えているのなら、買う前に冷静になってよく考えてもらいたい。ビジネススーツに欠かせないネクタイ。結ぶのが少々面倒くさいネクタイ。嫌になるくらい柄があって時には変なものも多いネクタイ。あれって一体何の役に立っているのだろうか。
ネクタイは薄い布切れだ。寒さを防ぐ役にはたたない。仕事がはかどる助けにもならない。暴漢に襲われたのでネクタイで応戦したなんて話も聞かない。それなのになぜ、あいつは胸の真ん中で偉そうにしているのだろう。
いや、ネクタイは装飾品だから別に役に立つ必要はない。現に役に立ちそうもないのに、皆が身につけているものはいっぱいあるじゃないか、という人もあるだろう。広辞苑にもネクタイは「洋服で、剄の部分に結んで装飾とする布片」とある。確かにネクタイは装飾品だ。
じゃあ、なぜネクタイは他の装飾品と違って普段は身に着けないのだろうか。ピアスやネックレス、指輪などは物にもよるだろうが、普段の服装でも身に着けることが多い。ところが、ネクタイを休日に着ける人はほとんどいない。着けるのは仕事の時か、ネクタイを着けていないと締め出されるレストランに行く時だけだ。
しかしネクタイは現に世の中にはびこっている。会社員は必ずネクタイを着けている。入社試験の面接にネクタイを着けずに行ったら、まず落とされるであろう。ネクタイと背広はサラリーマンの制服であるという意見もあるくらいだ。
確かに、ネクタイは制服であるのでこれを着けているという意見は説得力がある。入社試験のときにネクタイを着けていないと落とされるのは、会社という集団に適応する意思が見られないから、という理由であることが多い。制服にはそれ自体には意味はなく、それを着けていることに意味がある。なるほど、ネクタイもそういう訳だったのか。
だが、ここで新たな疑問が浮上する。たとえネクタイがサラリーマンの制服だとしても、なぜそうなのか。なにしろ世界中での現象である。学校の制服とは訳が違う。何か理由があるはずだ。
うんうん唸って考えてみたがこの答えは容易には出てこなかった。しばらく悩んだ結果、実際に日々ネクタイを着けている人に聞いたほうがよいと思ったので父親に聞いてみた。なぜ、ネクタイを着けるのかと。父親はそんな下らんことを考えていないで勉強しろと言いたげな顔であったが一応答えてくれた。曰く「なぜといわれても困るけど、なんとなく気持ちが引き締まるからだ」
なるほど。今までの疑問がいっぺんに氷解した。なぜ、制服となっているのか。なぜ、普段は着けないのか。なんの役に立っているのか。これらの疑問すべてに答えることが出来る。ネクタイは気持ちを仕事の状態にする切替え装置だったのだ。シュッと首に締めて身に着けるのも無関係ではなかった。あの音は確かに気が引き締まりそうな気がする。
ネクタイを贈ってもあなたの父親はとても喜ぶだろうができれば別のものにして欲しい。それは仕事をがんばってくれと言う意思表示をしているからだ。父の日に贈るものでまで仕事に追い込むのは少々かわいそうである。