大学合格体験記集

他人の考えを知ること

東京大学文科Ⅲ類合格(巣鴨卒) 竹倉 啓太

 僕が初めて松田先生の授業を受けたのは、高一のときのSEGの夏期講習で、「速読による能力訓練」を受講したときだった。そのとき僕は講座の紹介をろくに読んでいなっかった。「英語の速読かなんかでしょ」ぐらいの軽い気持ちでいた。
 しかし、期待は一瞬にして裏切られた。
 「これは英語の速読の授業ではありません」
 松田先生のこの一言で、この講座をとったことを少し後悔した。少し帰りたくなった。でも、せっかくだからとりあえず授業は受けてみようと思い、その場にとどまることにした。
 実際の速読の授業は、今まで受けた授業とは全く異なるもので、とても新鮮だった。特に毎日記録する自分の結果の変化がわかることで、なぜだかやる気が向上した。「明日こそもっと記録を上げてやる」僕は毎日授業に出席した。
 時はあっという間に過ぎさり、講習は最終日を迎えた。この日後半、授業の趣はそれまでの四日間と違っていた。松田先生が文章表現について語りだしたのだ。そこで語られたのは、他人のおかしな文章から学び、自分の文章を見つめなおすことで文章表現を向上させるということだった。実際にいくつかの文章が取り上げられ、文章を書く上での悪い点が指摘された。その指摘はとてもわかりやすく、自分の文章にも当てはまるものばかりだった。僕は将来のためにしっかりした文章表現能力を身につけたいと思い、「文章表現スキルアップ」を受講することにした。

 「文章表現スキルアップ」で一番楽しく、ためになったことは、自分の書いた文章が実際に授業で取り上げられたときだった。松田先生は僕の文章のどこが悪いのかを的確に指摘していく。僕はその一つ一つに感心し、納得していった。その日の授業が終わったとき、本当にこの講座をとってよかったと思った。同時に、自分の表現能力のなさを悔しくも思った。次こそはもっといい文章を書いてやるとも。
 僕は授業が終了するまでに三つの文章を書いた。何より嬉しかったのは、書くたびによくなっていると言われたことだ。低いレベルでの進歩だとはわかっていても、自分の力が伸びていることを知ることは、次の文章を書く意欲につながった。そして、文章を書いているうちに、自分の気持ちを文章にして表現することの難しさを、身をもって実感した。また、その難しさゆえに感じる楽しさが、次第に癖になっていった。もっともっと文章が書きたい。
 授業最終日、僕はなぜだか悲しかった。この授業をずっと受けていたい。ここで終わってしまうのは自分の中で納得がいかない。僕はそう思い、授業のアンケートにこう記した。
 「大学に入ったら、絶対にクリエイト速読スクールで文章演習講座をとります!」

 そんな僕に転機が訪れたのは、高二の夏のことだった。是が非でも国立大学に進学したいと考えたときに立ちはだかったのが、後期試験の小論文だった。高校の授業では文章の書き方など教えてくれない。かといって、大手予備校のそれほどよい評判を聞かない小論文の対策講座をとる気にもなれなかった。
 そのときふと思い浮かんだのは、半年ほど前の「文章表現スキルアップ」の授業だった。
 「松田先生がいるじゃないか!」
 そう思ったとき、僕は先生の授業が行われているSEG の教室へと足を向けていた。先生は授業後で疲れているにもかかわらず、いきなりおしかけた僕の相談をていねいに受け止めてくれた。その結果、僕はクリエイト速読スクールで「文章演習講座Bクラス」を受講することになった。

 僕は緊張の面持ちでクリエイト速読スクールの門を開いた。そこで待ち構えていたものは、想像以上にこぢんまりとした教室と、辛気臭そうな大人たちだった。僕は人見知りするほうなので、ろくに挨拶もできなかった。僕は一番後ろの席で、一人ばつが悪そうにうつむいていた。
 そうこうしているうちに松田先生のいつもの授業が始まった。授業で扱われる題材は、目の前に座っている大人たちが実際に書いてきた文章だった。作者を前にして、授業に参加している各人がその文章を読んで思ったこと、感じたことを好き勝手に述べていく。作者は黙って聞き入っているときもあれば、反論を繰り広げるときもある。その様子をおとなしく観察していた僕は、ある一つのことに気がついた。
 「他人の考えを知ることって、こんなにも楽しいことだったんだ」
 話を繰り返すうちに、目の前の大人たちは辛気臭い人たちではないことがわかった。何より、高校生である自分を子ども扱いするのではなく、同じ目線で見てくれることがうれしかった。そういう大人たちと接する機会というのはほかでは考えられなかった。いつの間にか、クリエイトでの授業の場というものは、僕にとってかけがえのないものとなっていた。

 僕は結局、受験の三カ月前までクリエイトに通い続けた。そのころになると、僕の中ではクリエイトと受験は完全に切り離された、別個のものとなっていた。なぜなら、僕は後期試験を受ける気がなかったのである。前期試験にすべてをかけよう、と心に決めていた。
 ではなぜ、それでもクリエイトに通い続けたのか。その答えは、クリエイトで学べることというのは、受験などにはとらわれない、将来の財産となるものだと思っているからだ。他人の考えに興味を持ち、それを理解しようと自分もまた考え、そして何かを感じ取ること。このことは文章だけにとどまらず、すべての学問をするうえで、いや、生きていくうえでは欠かせないことだと思う。
 クリエイトで学んだことが、入学試験における点数に直接つながったか? それは僕にはわからない。しかし、これだけは自信をもって言うことができる。
 「クリエイトでの授業が僕の受験勉強のすべてを支えていた。そして、これからの僕の人生をも支えていくだろう」と。