SEG講習

SEG「文章表現スキルアップ」講座案内

 「文章スキルアップA」全8回(18時間)で学んでいただくことは、以下の2点です。第1点は、さまざまな作文や小論文を講師が批評していきながら「なぜこのような書き方ではダメなのか」を理解していただきます。実践的な内容のため、自己表現するとき大いに有用なはずです。第2点は、論理的な文章を正確に読み取る力をつけるために、「要約」のトレーニングをします。書き記された原文からどこが最も重要で、次はどこがと、鋭く読解して優先順位をつける能力を磨いていただきます。

 国語の読解に自信のない方から、読解についてもっと深く学びたい方まで幅広く募集します。

(担当 松田真澄)

SEG「文章表現スキルアップ」受講生アンケート

2005年度 第Ⅰ・Ⅱ期
2004年度 第Ⅰ・Ⅱ期 第Ⅲ・Ⅳ期
2003年度 第Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ・Ⅳ期
2002年度 第Ⅰ・Ⅱ期 第Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ・Ⅳ期
2001年度 第Ⅰ期 第Ⅱ期 第Ⅲ・Ⅳ期 第Ⅳ・Ⅴ期
2000年度 前期・後期

受講者の作品例

 SEG数学科講師もこの講座の内容を社会人研修として受講しました。
 本人最終稿と第1稿を掲載します。どうぞご一読ください。

がんばれ、がんばれ (最終稿)

青木 純二

「監督っ」
「はぁ?」

 講師室の前で驚いてふりむくと、スーツ姿の青年は目に涙をいっぱい浮かべて話しかけてきた。

「やっと見つけた。覚えていますか?北海道で先生に野球を教えてもらっていた神山です」

 彼は、私が高校教師兼野球部の監督をしていたときのキャプテンで、今は都内で土木作業の現場監督をしているという。私の仕事場の住所だけをどこかで知ったようで、右手に観光用の小さな地図を持っている。受付で呼び出してくれればよいものを、ずっと外で張り込んでいたらしい。

 この男、高校時代はとんだ悪ガキで、煙草シンナー当たり前。授業中に爆竹は鳴らすは、自転車で校内を走りまわるは、太いズボンを松の廊下のように引きずって歩くは、ろくなもんじゃなかった。

 一年生のとき、万引きが見つかって停学処分を受けたことがあった。停学中の生徒には一人ひとり担当の教師がつくことになっており、彼の担当が私であった。家庭訪問に行って話を聞くと、
「俺には何の取り柄もない。熱中することもない。勉強は嫌いだし、親からも邪魔者扱いされる」
 と泣きじゃくる。

「中学生のときはなにやってたんだ?」
「……野球」
「野球は好きか?」
「……うん」
「よっしゃ。明日からお前は野球部だ。授業中は寝ててもいいから、放課後は必ずグランドに来い。いやでも熱中させてやるから」

 青春ドラマによくあるパターンではあったが、半ば強引に彼を野球部へ誘い、朝な夕なしごきまくった。教師二年目、二十三歳の夏である。

 元々運動神経がよかったので、見る見るうちに力をつけた。いつしか本気で甲子園を夢見るようになり、出場停止になってはいけないからとあれほど好きだった煙草も止め、悪さもしなくなった。大会は二回戦で敗退したが、私にとって思い出深い生徒の一人である。

 思わぬ再会に嬉しくなって、
「おぉ、神山か。なしたんよ。なんまらひっさしぶりだべ」
「監督も元気そうっしょ。どうしても監督と話がしたくってさぁ。それに監督との約束もあったし」
「約束?なんじゃそりゃ」
「卒業式のとき俺に言ったっしょ。十年後に会ったときは、酒おごってくれるって」
「そ、そんなこと言ったけ?」

 受付で私を呼び出す勇気もないくせに、私を目の前にすると相変わらず抜け目がない。

「しょうがねぇなぁ。じゃあ居酒屋でも行くか」

 そう言って、二人で出かけることにした。

「乾杯!」

 冷えたビールを一気に飲みほすと、彼は慣れないネクタイを緩め、聞きもしないのに色々なことを嬉しそうに話してくる。卒業後、北海道のホテルに就職したが、客と喧嘩をしてクビになったこと。女にふられて傷心、上京したこと。ガソリンスタンドで働いたけれどまた喧嘩をして首になったこと、云々。

「おまえ、その若さで二回もクビかよ、しかも喧嘩とは……」
「俺もこのまんまじゃヤバイと思ってさぁ。監督に相談しようとしたんだけど、合わせる顔もないべさ。でもやっと見つけたんよ。野球チームのある就職先」

 それが現在の職場である。週に一度の練習と、月に一度の試合をとても楽しみにしているという。

 酒が進み、閉店の時間が近づいてきた頃、彼は子供のように、
「監督、実はきのう、また喧嘩しそうになったんだ。でも今度は我慢できたよ。そしたら急に監督に会いたくなって……」
 と涙ぐむ。

 あのどうしようもなかった悪ガキが、東京で一人でがんばっていることが嬉しくなって、「そうかそうか。えらいえらい。よく我慢したな」
 と、最後の酒を彼のグラスにそそぐ。すると、
「監督、ありがとう。ありがとう。俺に野球を教えてくれて本当にありがとう」
 真っ赤なカオを涙でぐしゃぐしゃにしながら、何度も何度もそう繰り返した。

 生まれて初めてみんなで力を合わせ、ひとつのことに打ち込んだあの野球部時代は、彼の今の生活の支えになっているのかな。

 彼の肩を揺らしながら、
「がんばれ、がんばれ」
 十年前、グランドで彼にかけた言葉と同じ言葉を、私は何度も何度も繰り返した。

がんばれ、がんばれ (第一稿)

青木 純二

 仕事をサボって講師室の前で煙草に火をつけようとしたら、ある男(二十代後半くらい)が寄ってきて、私に声をかけてきた。

「監督!」
「はぁ?」(なんだぁ?いきなり。)
 と取り止めもない返事をしたら、その青年は突然目に涙をいっぱい浮かべて
「やっと見つけたよ。覚えてますか?北海道で先生に野球を教えてもらっていた神山です。」

 彼は、私が高校教師兼野球部の監督をしていたときのキャプテンで、今は都内で土木作業の現場監督をしているという。私の仕事場を探し当てて、張り込んでいたらしい。(入って来て呼び出せばいいのに。)

 この男、高校時代はとんだ悪ガキで、煙草シンナー当たり前、授業中に爆竹はならすは、自転車で校内を走り回るは、太いズボンを松の廊下のように引きずって歩くは、ろくなもんじゃなかった。そんな彼を私は強引に野球部へ誘い、朝な夕なしごきまくった。教師二年目、二十三歳の夏である。元々運動神経が良く、しかも単純な奴だったので、本気で甲子園を夢見るようになり出場停止になったらいけないからと、仲間たちと結託し、煙草も止め、悪さをすることもなくなった。大会では二回戦で敗退したけれど、私にとっても思い出深い生徒の一人である。「おぉ、神山か。なしたんよ。なんまらひっさしぶりだべ。」(北海道弁丸出し。直訳→どうしたんですか?とても久しぶりですね。)

 思わぬ再会に私も嬉しくなって、こそっと抜け出し居酒屋へ直行。そして酔うほどに…
「先生、ありがとう、ありがとう、俺に野球を教えてくれてありがとう」

 何か辛いことがあったのか、しきりにその言葉を繰り返す彼。生まれて始めてみんなで力を合せてひとつのことに打ち込んだあの野球部時代が、彼の今の生活の支えになっているのかな、勝手にそう解釈し、酒を酌み交わしながら「がんばれ、がんばれ。」と九年前、グランドで彼にかけた言葉と同じ言葉を、今度は私が繰り返した。

 先生とか、教師とか、講師とか、いろいろ呼ばれてきたけれど、言っている言葉は今も昔も「がんばれ、がんばれ。」もっと気の利いた言葉はないのかしらん?