大学合格体験記集

自分の感覚を建設的に壊す

国際基督教大学教養学部合格(東京電機大学高卒) 塚田 草太 

自己紹介 
 私は、SEGで「速読による能力訓練」と「文章表現スキルアップ」、クリエイト速読スクールで「文章演習講座Bクラス」を受講し、2003年の大学入試を受け、現在、ICU(国際基督教大学)理学科の一年生である。

遭遇、速読から文スキへ
 中学3年の夏、数理専門塾SEGに通っていた私は、通常授業の続きである数学や英語の夏期講習のほかに、「速読による能力訓練」をとっていた。資料・参考書を大量に読まなければならない今と違って、その頃は、「速読」にさほど魅力は感じていなかったが、中高一貫教育のいわゆる中だるみといわれる中3、高1の期間に、なにか自分を鍛えるという勢いで受講したのかもしれない。5日間の講座最終日に、「文章表現スキルアップ」の伏線だったと言えばいやらしく聞こえるかもしれないが、文章を書く上での細かい常識やおおまかな指針を教わった。具体的には段落や字数に関することなどを覚えている。体系立った、大人の文章家の理論の端を見たような感じだった。今はそうだと思っていないがそれまでは、大人の文章家というのは新聞記者のようなものだと捉えていた。
 とにかく、普通の子供より教育されてきた自信があった私は、これまで習ってきたものとは似ているが違う、もっと大人の感じのする文章へのアプローチに興味を抱いた。そして、質のよい教育を受けてきた自信というものがつまらないものであったと「文章表現スキルアップ」の中で気づいていった。

文スキが自分の感覚を建設的に壊す
 「文章表現スキルアップ」はSEGで開講されている高校生用の「文章演習講座」である。前半は悪文の分析を通じた文章に対する注意力を養った。徹底して悪文を見る、評価する。書き直しを見る、再評価する。これを繰り返す。ここでもう他人の文章に建設的な意見を言えるようになる人もいる。しかし、この感覚を自分のものとすること、自らの文章に反映することは大変難しい。後半では、クラスメイトそれぞれの文章を検証した。私は自分のアンバランスな感覚というか、自分の甘っちょろさを、批判的に、綿密な議論と共に発見できた。私の書いていった文章はおよそ幼稚な小論文の類で、ほとんど論理的な側面からだけ修正が入るのだが、クラスメイトの小説風な文章にも、科学的に、文章を効果的あるいは印象的にさせる建設的な意見が出た。それは、文スキがSEG(Scientific Education Group)で開かれている事実を納得させるものだった。文スキで習ったのは決して複雑なことではなかった。基礎の繰り返しだったかもしれない。むしろそのことが文章を書くことの奥深さを感じさせた。文スキでは、SEGに通うような中高生にとって非常に重要な姿勢を学べる、そしてそれは将来に必ず役に立つ。いや、大学へ入ればスグにわかるのだが、十二分に元が取れる講座なのである。

文演、自分の発見
 高1で文スキをとりその有用性に感動した私は、文スキの母体である池袋のクリエイト速読スクール「文章演習講座Bクラス」をその続きとして受講することにした。私と同じようにSEGからきた同学年の竹倉君を除いて、文スキのメンバーが様々なバックグラウンドを持つ大人に入れ替わった感じの面白い空間であった。実際、理系の私は高二から始まるSEGの理科のおもしろさにはまってしまい、なかなか自分の思ったとおりの文章を書くことが出来なかったが、その両方を同時に受けることによって、一つの発見が生まれた。私は理系科目を専攻としていく一方で、それを社会に伝えることの大切さに気づいた。それは自然発生的な、この文演の時間の中での着想だった。文演で学ぶことがこれほどダイレクトに、エッセンシャルな形で将来に影響を与えることになり、私は驚いている。

受験を終えて
 残念ながら、第一志望であった東京大学理科Ⅰ類を落としてしまった。しかし、発想の段階から切り込んでくる松田先生の文章への考え方は、受験にも、受験後の生活にも大きな役割を果たしている。ICUでは3日に1つの割合で、英語のエッセイやその書き直しの課題が出される。英語であろうとなかろうと文章を書く基本を教わっていない学生は、おそらく私の3倍近くの時間をそれに費やしているはずだ。そんな必死のクラスメイトを横目に見つつ、私はもう一度、私が学んだことを思い返した。