浪人生が予備校のほかに通ったのは速読教室。1年間で千冊を多読した意味 | 速読ナビ

受講生の声

浪人生が予備校のほかに通ったのは速読教室。1年間で千冊を多読した意味

更新日:2024年4月20日 公開日:2023年7月11日

 この記事は、東京工業大学理学部に合格された、荒木さんによる速読体験記ブログです。

東京工業大学理学部第I類合格 荒木 健友

浪人生活を前向きに過ごしたかった

 速読を始める理由は、受験のためとか資格のためとか本が好きだからとか、いろいろあると思います。ぼくの場合は、表面上は、受験のためという理由にあたります。現役での大学受験に失敗して、その浪人中の1年間、クリエイト速読スクールに通ったからです。

 しかし、その本当の理由は浪人という時代を少しでも前向きに過ごしたかったからかもしれません。浪人ということを、本人が自覚していようがいまいが、周囲の視線は蔑みとも憐れみともとれるものが大半です。今考えるとそうした視線は自分で無意識に作り出しているともいえなくはないのですが、自分だけが前向きであろうと思っても、周囲がそれを許してくれない雰囲気は確実にあると思います。受験に一度失敗したという事実は厳然と存在しているからです。そこで、そうした雰囲気から解放されるにはどうすればいいのか考えた結果、本をたくさん読もうということになったのです。

 ところが、本をたくさん読みたいと思っても、読む時間もなければ、本を何冊も読む忍耐力もありませんでした。高校のときからそうしたジレンマが心の中に溜まっていました。高3のときには、速読をやろうという決意がありました。それを行動に移せたときが、結果はどうであれ、受験が一段落した時だったのです。だから、元々、受験のためにクリエイト速読スクールに通い始めたのではありません。純粋に本が読みたいという気持ちが半分と、受験の煩わしい重圧から解放されたいという気持ちが半分あったと思います。結果として受験に一役買ったということで、今回はこうした場所に文章を書かせてもらうことになったのです。

速読は魔法じゃないの!?

 ぼくも、初めは速読は魔法のようなものに違いないと思っていました。テレビで紹介されている速読がそうした誤解を産む原因だと思います。目をカッと見開いた人があさましい姿でページをめくっていく。そうした映像だけが流されて、速度だけが強調されています。それを見た視聴者が速読を魔法のように思うのは無理のないことかもしれません。どんな速度で読んでも本の理解度が変わらないとしたら、速く読めば読むだけいいでしょうし、まさしく魔法です。

 しかし、普通に考えても分かるように、速く読めば読むほど、どうしても理解度は下がっていくものです。だからこそ、訓練でその下がり具合を縮めたり、本の内容の理解と速度を天秤にかけながら調整していくことを習得していくのです。

受講ペースについて

 初めの2週間は毎日2回受講し、次の2週間は毎日1回受講しました。だんだん様子を見て回数を減らしていきました。また、週に2~3回のときに文章演習講座を受講したことも外せません。結論を言うと、初めに集中して受講し、だんだん回数を減らす。そして、読解力を上げるために文演をはさむ。こうした受講の仕方は効果的だったと思います。もちろん、これはぼくの受講ペースなので、人によっては、文演だけ受けてもいっこうに構わないでしょうし、速読のトレーニングだけ受けても、十分な効果は得られると思います。

速読の効果を実感

受講から半月後

 1回目の変化は突然起こりました。それは速読受講後、最寄りの駅から家へ、自転車で帰る途中のことでした。自転車に乗って見える景色が普段とまったく違っていたのです。今までの視界は無意識のうちに一点に集中していました。しかし、そのときは空も地面も左右の家々にも注意が行き届いていました。景色全体が目に飛び込んできたのです。また、障害物で道が狭くなっているところを自転車で通れるかどうかの目算に確信が持てるようになっていました。今までは10㎝は左右から離れて走らないと危険だと思っていたところが、1cmでも大丈夫だと思えるようになりました。それは視界の全体に注意が払えるようになったからだと思います

3~4カ月後

 速読の上達を実感したのが自転車に乗っているときだったのは意外だと思われるかもしれません。速読だから本の中でしか使えないと思ったら、それはまったく違います。2回目の実感はジワジワときました。1回目とは違い、本を読んでいるときに少しずつ変わっていきました。目に見える変化ではありません。頭の中での変化です。それまでは目に飛び込んでくる文章の断片がバラバラに頭の中に飛び込んできていました。バラバラになっているものをとにかくそのまま受け入れようとしていました。しかし、この時期には文章が一本の筋を持って頭にきれいに納まっていく、そうした変化が起こりました。いや、起こるように試行錯誤を重ねていったというほうが正しいでしょう。試行錯誤を重ねて、はじめて、あやふやだった感覚が確信に変わっていったのです。

教室での訓練について

 クリエイト速読スクールの訓練は速読をしていく上での土台作りのようなプログラムです。ある目の動きができなければ、その上には進めないというプログラムではありません。落ちこぼれることをできるだけ少なくしていくために、まず「読書力」を身につけさせるプログラムになっていると思います。

目を速く動かす力

 目を速く動かす力はなぜ必要なのでしょうか。人によっては、目が速く動くと、字が速く追えるようになって、速読できるようになるから、と言う方もいると思います。しかし、実際にトレーニングしていくと分かると思いますが、人が目で追うことのできる速度はある程度限界があります。それだけでは行きづまってしまいます。
 そこで、視野を広く保つことが必要になってきます。視野を広く保てば、目をそれほど速く動かす必要もなくなるのです。本の読み方が、縦一行ごとに目を上下させる読み方から、広い視野で横にずらしていく読み方へと、変わっていきます。

 それでは、なぜ目を速く動かすトレーニングをするのでしょうか。それは、目の動きの限界を上げていくためです。すると、目を揺らすという動きができるようになります。上下にぼやけている部分があるときは目を上下に揺らします。本を読んでいくときも常に微妙な揺れでもって横へスクロールするように、読み進めていきます。微妙な揺れによる視界は、普段の生活の視界とは明らかに異なります。池袋駅の人ごみの中を、この微妙な揺れを持った視界で歩いてみました。すると、自分の周りの人の流れが、カッ、カッ、カッ、と1コマ1コマゆっくりと動いている。そう見えました。このことは、目を揺らすことで、一瞬一瞬に認識しようとする集中力が上がるからではないかと推測できます。この視界を認識する集中力が速読と関係していると思います。

集中力

 速読をする上で集中力は欠かすことのできない能力です。ぼくがクリエイト速読スクールに通っていて、しばらく経ったとき、こんな経験をしました。

 予備校の自習室で勉強していたときのことです。その場所はたまたま混雑していて、椅子に座っていても、その周りには頻繁に人が通るし、ざわざわとした話し声もありました。しかし、そのときは今までの自分とは違いました。周囲の猥雑さが自分の身体をすり抜けていくように感じました。参考書に意識が向かっていき、なんとも落ち着いた気持ちで勉強することができました。

 今までなら、前を通る人の足音に反応したり、周りの話し声を不快に感じたと思います。しかし、気持ちを穏やかにすること。それが集中のために必要だと気がついたのです。速読スクールではカウント呼吸法という呼吸法をトレーニングの1つとしています。それは、穏やかな気持ちを引き出すためだと思います。今回は前回よりいい記録を出してやろうとか、このトレーニングは苦手だ、といった感情から一歩後ろに引いた、気持ちの穏やかさが持てるようになります。

発散力

 集中力の反対に、発散力という力があります。聞き慣れない言葉だと思いますが、数学者の森毅さんの著作の中で出てきた言葉です。簡単に言いますと、意識をあっちこっちへ散らす力のことだそうです。なんだ、普段から発揮しているではないか、と思うかもしれません。だけど、あえて、発散力を取り上げたのには訳があります。
 発散力とは、いろいろな方向へと想像力を働かせていく能力であるともいえます。例えば、俳句や詩といった、とても短い言葉で表現されたものでも、感銘を受けるのは、短い言葉からあれこれと想像をめぐらせていくからではないかと思われます。1つの言葉に対しても、人によって、意識の広がり方は違います。発散力のある人は言葉に対し、幅広い意味を見出し、思いもよらないようなつながりを見つけるかもしれません。

集中と発散のバランス

 一概に集中力と発散力どちらが大切かはいえません。ただ、速読においては性質上、集中力が必要です。集中力を磨いて、初めて発散力の大切さも分かると思います。2つの力を同時に発揮することはぼくにはできません。速読する上で、集中と発散をバランスよく調節すること。それが理想かもしれません。

本をたくさん読むメリット

 ぼくはクリエイト速読スクール以外の訓練として、多読を心がけてきました。体験レッスンの時に「家で何かすることはありませんか?」と質問したときに、「目を動かすようなことよりも、たくさんの本を読んでください。受験生だから参考書が入ってもかまいませんから、たくさんの活字を浴びてください」と松田先生に言われたからです。また、もうひとつこの作業に移行していく原因となったのが、文章演習講座です。文演に関しては他の体験記で皆さんが詳しく説明していますので、ここでは取り上げませんが、「読解力が上がる」の他にもうひとこと触れさせてもらいますと、文章を書く人の目線に立った本の読み方を教わったと思います。

多読の目安

 多読の目安が何冊かは分かりません。人によっては、読書は冊数ではないというかもしれません。少ない冊数でも、1冊から深く学び取れば、十分多読といえるでしょう。しかし、速読を学ぼうという人にはある程度本をたくさん読むことをオススメします。クリエイト速読スクールで得た技術をより多く実戦で試すことができ、まだあやふやな技術が板につくようになります。

 ぼくはこの1年間で千冊を越える本を読むことになりました。どんな本を読んできたか少し挙げてみますと、『青春の門』全6巻(五木寛之著)、『氷点』『続氷点』各々上・下巻『夕あり朝あり』『塩狩峠』(三浦綾子著)、『日本のこころ』(岡潔著)、『痴人の愛』『春琴抄』『細雪』上・中・下巻(谷崎潤一郎著)、『ガリヴァ旅行記』(スウィフト著/中野好夫訳)、『読むクスリ』全37巻(上前淳一郎著)、『ご冗談でしょう、ファインマンさん』上・下巻(R.P.ファインマン著)、『精神と物質』(利根川進・立花隆著)、『TUGUMI』(吉本ばなな著)、『学問の創造』(福井謙一著)、『封神演義』上・中・下巻(安能務著)、『こころの処方箋』『働きざかりの心理学』『日本人とアイデンティティ』『青春の夢と遊び』(河合隼雄著)、『異邦人』『ペスト』(カミュ著)、『プリズンホテル』全4巻『王妃の館』上・下巻『天切り松闇がたり』1・2・3巻(浅田次郎著)、『私の独創教育論』『「十年先を読む」発想法』(西澤潤一著)、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』上・下巻『スプートニクの恋人』『ねじまき鳥クロニクル』第1・2・3部(村上春樹著)、『脳のなかの幽霊』(Ⅴ.S.ラマチャンドラン著)、『白痴』『堕落論』(坂口安吾著)、『古代への情熱』(ハインリヒ・シュリーマン著/村田数之亮訳)、『勝負』(升田幸三著)、『おはん・風の音』(宇野千代著)、『八十日間世界一周』(ジュールヴェルヌ著/田辺貞之助訳)、『孔子』(井上靖著)、『モォツァルト・無常という事』(小林秀雄著)、『夜間飛行』(サン・テグジュペリ著/堀口大学訳)、『タテ社会の人間関係』(中根千枝著)、『海が聞こえる』Ⅰ・Ⅱ巻(氷室冴子著)、『日本人とユダヤ人』(イザヤ・ベンダサン著)、『砂の女』『壁』『箱男』『密会』(安部公房著)、『坂の上の雲』全8巻(司馬遼太郎著)、『大地の子』全4巻(山崎豊子著)、『仮面の告白』『金閣寺』(三島由紀夫著)、などです。

 これだけ挙げても、まだ挙げたりないのですが、ひとつの目安として挙げてみました。もちろん、千冊もの本が全て頭の中に入ったということではありません。袖を擦る程度の表面的な読書もあれば、自分の心深くまで入り込むような読書もありました。1日平均して2~3冊は読むようにしました。初めは調子に乗って日に10~15冊も読んだこともあります。けれど、あまり冊数を増やしても、半分以上の内容がどうでもよくなっていることに気付きました。それからというもの、日に10冊以上も読むようなことはあまりしなくなりました。1日に大体2~3冊というペース、どうやらこれがぼくにとっての目安のようでした。

 人によって多読の目安は違います。速読スクールによって、読める本の数は格段に上がると思います。しかし、読める数と多読の目安は違います。多読するためには、自分の目安を見極めることが大切です。

価値観を広げる多読

 多読をすると色々な人の考え方に触れることになります。ぼくは人によって価値観が本当に多様だと気付き、驚きました。シャワーを浴びるようにいろいろな価値観に触れていくことで、自分の頭の中が広がっていくことを感じました。

 本の中には、速読するのが易しい本と難しい本があります。上に挙げた著作の中では『青春の門』(五木寛之著)は速読しやすい本に分類され、『モォツァルト・無常という事』(小林秀雄著)は速読しにくい本に分類されると思います。初めはどの本に対しても、同じ速度で読み進めていこうとしました。しばらくして、失敗に気付きました。本は自分の頭の中だけに納まるのではなく、作者の価値観が入り込んでくるからです。一般に、読者と作者の文化水準の差が大きい本は速読しにくいようです。もちろん、五木寛之さんは大作家ですから、どんな人が読んでも、引き込まれるように書いているのでしょうし、小林秀雄さんは偉大な評論家ですから、一定の深さを持った思索が必要で、誰が読んでも面白いというわけにはいかないのでしょう。

 そうしたことを見極めるためにも、自分の頭の中の価値観を広げていくことが必要です。『作者はこういう風な価値観に立って話を進めているが、前に読んだ本の中にはまた違う価値観があった。また、ぼく個人としてはその2つの価値観の中間辺りかなぁ』といった読み方です。そうすると、作者の立場がより鮮明になり、速読しやすくなります。

読書スピードについて

 速読なのだから速ければ速いほどいいだろうと思うかもしれません。確かに、初めはそういった意識で臨んだほうがいいようです。それまで本はゆっくりと読むものという固定観念が刷り込まれています。クリエイト速読スクールでは自分に上限を定めないで、常に限界以上の読書スピードで読んでいくような訓練をするといいと思います。また、そのための場所として速読スクールがあるといえます。

 この1年間でぼくの読書スピードは1分間に1200文字から2万文字まで上がってきました。この数字を1ページ650字の250頁の新書で換算すると6~10分で1冊読めることになります。だからといって、普段からこの速度で読んでいるわけではありません。1分間に2万文字という記録はそれほど当てになるものではありません。

 正確に理解できているかどうかの基準を試験の問題文に置くと、初めの3倍ぐらいで読めれば十分だと思います。ただし、自分の限界が3倍であって、3倍の速度で読むのと、自分の限界が初めの十数倍まで上がっていて、3倍で読むのではずいぶんと違うと思います。試験というミスの許されない状況では、限界の3倍では通用しません。余裕を持った3倍である必要があります。試験は運が左右するとはよく聞きますが、そうした運に振り回される部分を削っていくこと大切です。速読でスピードを追求していくと、時間に対して厳しくなります。厳しい時間感覚を持って、はじめて余裕も生まれてくるものだと思います。

勉強に集中することができた

 初めに書きました通り、ただ受験に合格するためにという理由だけで、クリエイト速読スクールに通ったのではありません。速読というものがよく分かっていない状態で、大学に合格するという一大事を速読に全部背負わせるのはあまりにもリスクが大きすぎます。ぼくは、予備校に通い、自宅でそれなりの勉強をしました。その勉強が、速読スクールに通っていたから集中してできたということだけです。速読スクールに通い続けるだけで受験に合格するなどということは絶対にありえません。その点を理解してさえおけば、速読は受験の枠をこえて幅広く活用できる技術になると思います。

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