速読の効果は世界史の暗記や英作文にも。一橋大学社会学部合格体験記 | 速読ナビ

受講生の声

速読の効果は世界史の暗記や英作文にも。一橋大学社会学部合格体験記

更新日:2024年4月20日 公開日:2023年7月5日

 この記事は、一橋大学社会学部に合格された、羽生さんによる速読体験記です。

一橋大学社会学部合格 羽生 彩華

SEG夏期講習で速読と出会う

 高校受験を終えた私は大学受験のためにSEGに通い始めた。高1の夏のことだった。母は私に相談せずに、夏期講習の受講講座の中に「速読による能力訓練」を加えていたのだ。消極的だが、これがクリエイトとの出会いである。

 親戚や友人で速読をやっているひとがいなかったので、「速読の講座を申し込んだ」と初めて母に言われたときは、やっかいなものをと思った。私がしたいのは受験勉強であり、速読とやらではない。時間の無駄だと思い、夏期講習が憂鬱だった。

ゲーム感覚の訓練

 実際に講習が始まると、それまでの憂鬱な気持ちは跡形もなく消えてしまった。ゲーム感覚で行う訓練は、自分の記録を更新したいという気持ちさえあれば誰でも楽しめる。自分でも驚くほど集中してしまう。訓練そのものが楽しいのだ! しかし、これで終わるのなら単なる遊びにすぎない。そこからが驚きの連続だった。読書をしたいという気持ちがどうにも抑えられなくなるのだ。

「速読による能力訓練」の効果

 ところで、若者の活字離れについて嘆く人が多い。私も読書量はとても少なかった。小学生のときは、夏休みの読書感想文のためだけに本を読む程度だった。

 中学生になったらもっと本を読もう。そうじゃないと、私も一般の生徒と同じになってしまう……。

 しかし、読書の習慣がついていないままなのだから、中学生になったからといって状況はほとんど変わらなかった。受験問題として論説文の一部を読むが、自主的にはほとんど活字に触れられないのだ。

 そんな私が、速読の訓練を通して読書欲でいっぱいになった。SEGの「速読による能力訓練」の初日を終えると、私は地元の本屋を渡り歩いた。それまで気にもかけなかったであろう本の題名が、私の興味をそそったのだ。しかも、訓練をしっかりやった後なので、文字がいっぺんに目に入ってきた。自分のこととは思えないような体験であった。

速読教室に通い始めた理由

 SEGでの5日間の講座を終え、速読を封印させるつもりだった。受験が終わったらまたやればいいと思ったのだ。

 しかし、「速読による能力訓練」の講座を担当されていた松田先生が開いている教室がたまたま私の高校のそばだったので、在学中にクリエイトに通おうと決意した。速読をやっている女子高生なんてのも珍しくていいんじゃないかな、くらいのノリだった。受験のためというよりは、読書習慣をきっちりつけるため、という理由の方が強かった。もう典型的な活字離れした若者だとは言わせない、という意欲に満ちていた。

世界史の暗記に大活躍

 受験科目に日本史と世界史があったのだが、私は高3の時点でやっと世界史の勉強を始めた。センター試験を世界史で受験するつもりだったので、10カ月で教科書の内容をマスターする必要があった。 

 ちょっとした時間を見つけては世界史の教科書を開く毎日で、クリエイトに通う時間も少なくなっていた。

 夏休みに入る前にまとめてクリエイトに行こうと思い、久々に教室へ向かった。それまで受験と速読の関係をあまり意識したことはなかった。しかし、世界史の用語を記憶するときの脳の使い方が、速読の訓練をするときの脳の使い方に似ていることに気がついたのだ。短期間に暗記するにはどうすればいいかということに関するヒントを、速読を通して得た。

 速読の訓練をすればするほど、世界史の暗記の際の集中力が増し、逆に、世界史用語を暗記して頭を使えば使うほど、速読の訓練の自己記録は更新されていった。脳は退化しやすい、らしい。しかし、速読の訓練を続ければ、脳の働きは簡単には衰えないと思った。

小論文と速読

 速読の訓練で読書のクセがついたことは小論文に生きてきた。

 抵抗なく本を読めるので、知識や常識が身につく。そして当然のこととして、考える習慣がつくのだ。

 大学受験の小論文でよく言われるのは、どの生徒も同じようなことを書く、ということだ。

 教科書や小論文対策の参考書で覚えた表現をそのまま引用するからである。生徒は気づかないが、そこだけ浮いて見えるらしい。日頃から考える習慣をつけるべきだが、受験生に時間はない。それなら、速読で読書すればいいと思えるようになった。

書き方を学んだ文演

 松田先生の勧めで、クリエイトで文章演習講座(文演)を受講した。

 私は、1冊の本から情報を抜き取ることよりも、筆者の創りだした世界に入り込むことの方が好きだ。同じ本を何度も読む理由がわからない、と母は言うが、小説を読む際に私にとって本当に大切なのはストーリーではない。筆者が捉えた世界を追体験するよろこびを味わうのが好きなのだ。

 気に入った表現を見つけると、1日中ドキドキして仕方がない。自分にも何か書けるのでは、と思い、ノートを開いたこともある。

 しかし、1ページと埋まらないうちに挫折してしまう。

 私の文章は小説家のそれとは何かが違う……、でも何が?

 その答えは文演にあった。

 「人間はデジタルであることばを使って世界を捉えようとするが、我々が生きているのはアナログの世界だ」という表現に以前出会ったことがある。

 ことばを使うと、「あの人はかっこいい」「今日はたのしかった」というように、既成の表現しか使えない。表現を組み合わせれば状況はよりリアルに他者に伝わるが、それでもことばでは私たちの生きる現実の世界を捉えきれないというのだ。

 これだけ聞いていると、なるほど、とは思う。だが実感はわかないものではないだろうか。

 私は文演の授業を通して、アナログの世界に少し近づけたと思う。

 点から点への移動を丁寧にすることで、プロの小説家は私たちの前に世界をリアルに立ち上げているということに気づいたからだ。

 文演では、他人の文章を深く読み込み、改善できる点を他の受講生と絞り出した。この訓練から、自然な日本語について学べたと思う。

 日本語はきれいだ。日本語を使って生活するのなら、文演で日本語の美しさを再認識すべきである。

 最近は、ちょっとした感情を自分らしく表現することにはまっている。

文演で手に入れた武器は、一橋の英作文でも活躍

 得意科目は英語だ。

 中学生のときからこう言い続けていたのだが、いつのころからか英語力に自信を持てなくなっていた。原因は英作文だった。

 受験生の多くは自由英作文を苦手とするらしい。試験時間内に、自分の英語力でカバーできる内容を思いつかないためだ。

 私も同じ理由で成績が伸び悩んでいた。

 しかし、文演で丁寧な文章を書くクセがつくと、これを英作文に活かせないかということを考え始めたのだ。

 英語も日本語も、ことばには違いはない。だったら書き方だって同じはずだ。

 このことに気がついてから、英語の表現力も上がったのだ。中心となる内容さえ思いつけば、そこからどんどん広げていけばよいだけなのだ。描写に凝りはじめ、書きたいことが頭からあふれて止まらなくなっていた。

 得意科目は英語だ。

 受験が終わった今も自信を持って言える。

読書量がものを言う世界

 受験生には時間がない。そのため、熱心な受験生ほど読書量が少ない。

 しかし、大学に入ってからは読書量がものを言うのが現実である。どんなに忙しくても新聞くらいは読むべきだと思う。

 来年、再来年が受験学年の方、今からクリエイト速読スクールに通ってみてはどうだろうか。

 一味も二味も違う、大学受験生活を送れるはずである。

この記事のタグ