大学合格体験記集
文章表現スキルアップについて
限 界
山下 修平
人間、体力の限界なんてそう簡単に来ない。そのことを実感したのは中三の夏合宿のときだった。
僕は少林寺拳法部に所属していたのだが、そのクラブは夏になると新潟のあるスキー場で合宿を行う。新潟だから涼しいだろうと思うかもしれないが、実際は東京よりも暑い日もあり、そこで僕らは毎年地獄を味わっていた。
その年は例年よりも更に気温が高かった。また、同伴したOBも特別にきびしい人だった。そんな中、冷房器具が一切なく、風通しの極端に悪い体育館に押し込められた僕らは喘ぐようにして練習メニューをこなしていた。OBの鋭い視線におびえながら、必死に動き、せいいっぱいかけ声を出す。突きも、蹴りも、受け身も決して適当に流すわけにはいかない。適当にやって楽しようものならすぐさま叱責の声が飛んでくる。また、叱られるだけならまだ良いが、しばしばスクワットなどの肉体的な罰が課されるので、どうあっても手を抜くことはできなかった。
ある日、中三以上の部員だけがOBの中でもとりわけきびしい人の指導を受けることになった。
「じゃあ蹴りをやろう。ひとり三十本ずつ数えていけ」
中三以上の部員は十人。要するに三百本やれということである。普段の蹴りの練習が三十本なのでその十倍ということになる。相当きついが、できない数ではないだろうと思ったが、甘かった。
百本ほど蹴り終った時にOBの声が飛んだ。
「気合が足りない、最初からやり直せ」
何か技を繰り出す時のかけ声を「気合」と言う。自分も、周りの友人や先輩も、かなり大きな気合を出していたのに、それでも足りないと言われた。しかもまた一からやり直すというのだからたまらない。この時点で相当疲れているのに、あと三百回もできるか! と思ったがそんなことを口に出して言えるはずもないので、なんとかしてやるしかなかった。しかしやり直しはじめてすぐに、OBの声が再び飛んできた。
「蹴りが遅い!はじめから」
蹴りを繰り出すスピードが遅かったのだ。百回以上も足を激しく動かせば、足は自ずと重くなってくるのに、それさえも許されることは無かったのだ。そしてもう一度はじめから。
こんな調子で当初三百本だったはずが四百本、五百本と増えていったのである。なんとか終わらせても休む暇無く、反対の脚での蹴りがはじまるのである。
数をこなすにつれ足は棒のようになり、全身に疲労がたまってくる。体中から汗が吹き出し、道着が水に浸したようにびしょ濡れになる。しまいには、小便も漏れそうになる。「あと十本やったら倒れよう」「もう限界です、と言おう」などと何度も思ったが、なぜか体は動くのである。蹴りの練習に限らず、その他の練習でも幾度となく「もう限界だ」と感じたが、本当に全く体が動かなくなったということは、ついに無かった。
限界なんてなかなかやって来ない。このことが分かったことで、これから先、色々と頑張れそうな気がする。