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速読訓練法

クリエイトの速読がお約束できること

更新日:2024年4月20日 公開日:2023年11月9日

 この記事では、当スクールの出版物『知的速読の技術』から、BTRメソッドの考え方に関する記述を、一部編集の上お届けしています。

速読に対する期待

 私たちは、東京・池袋にある小さなビルの四階で、速読の教室を開いています。ビルの前は池袋駅からサンシャインシティに抜ける通りの裏側で、多くの人が行き来しています。その中から、何人かの人が「速読」の看板に目を止め、説明を聞きに上がって来ます。ビジネスマン、OL、学生、自営業の方、そして、受験生のお子さんを持つお母さん。

 速読については、「前に何かの本で読んだことがある」「テレビでやっているのを見た」という方がほとんどです。

 そうした方々に、「速読にどんなイメージを持っていますか」と、聞いてみることがあります。この記事を読まれているあなたはどうでしょうか。

 さまざまな返事を総合してみると、どうやら、次のようなイメージが強いようです。

  • 速読を身につけると、人をアッと言わせるようなスピードで本を読むことができる。
  • ひそかに速読を習えば、ライバルに大きく差をつけられる。
  • 速読とは禅の境地のようなもので、訓練の中でハッと開眼するときがきて、できるようになる。

 つまり、速読の訓練をすることで、何か他の人にはない、特殊な能力を身につけられるのではないかという期待が、誰しも心の奥底にあるようです。

 その一方、ご自身が訓練を受けようとする動機を聞いてみると、次のような答えが少なくありません。

 「私は、本を読むのが人より遅くて困る」

 「今よりも集中して、本が読めるといいのに」

 「今の二倍か三倍のスピードで読めれば、それでいいんだが」

 現実には、切実な悩み、願いを持ちながら、速読に対する過剰な期待だけが、変にひとり歩きしている感じがします。

クリエイトの速読がお約束できること

 クリエイト速読スクールの速読が、実績をもって確かに言えることは次のような点です。

  • 人をアッと言わせるスピードには、必ずしもなりません。しかし、ゆったりとした気分で読書に集中できるようになり、能率が向上します。本の内容がよくわかり、記憶に残るようになります。
  • これだけで、ライバルに差をつけられると思ったら、間違いです。しかし、受験生なら、イライラせず、自分の全力を出して勉強できるようになります。むしろ、他人を気にせず、仕事や勉強をマイペースでこなせるようになります。他人に差をつけるというよりも、現在の自分自身に大差をつけられるようにすることが肝要なのではないでしょうか。
  • 訓練の中で、ハッと開眼するようなことは、あまりありません。あるときうまくいったなと思うと、次はまた失敗したり、その繰り返しです。しかし、そうした努力の積み重ねから着実に身についてくるものです。

 つまり、ここで身につく「速読」とは、別に「他の人にない特殊な能力」ではありません。訓練の末、身につけてしまえば、本人にとっては当たり前の能力に感じられます。

 それはちょうど、自転車に乗ることのできる能力のようなものです。できる本人には、そのありがたみはわかりません。しかし、これから習おうとする人にとっては、それは、切実に欲しい能力なのです。

 教室に入学を希望される方に、私たちはまず、そのことを申し上げています。

 速読とは、決して特殊な能力ではありません。しかし、それは必要な能力なのです。特殊な能力を望む方の期待には、残念ながらお応えできません。そのことをわかっていただいたうえで、教室への入学をおすすめすることにしています。

「読むのが遅いという悩み」の真相

 「読むのが遅くて困る」というのは、速読を学ぼうとする人の多くが口にすることです。しかし、それは本当でしょうか。ちょっと立ち止まって、この問題を考え直してみたいと思います。

 なるほど、世は情報化社会と言われ、出版点数は年々増加の一途をたどっています。 生活の多様化に応じて、さまざまな内容、装いの本が書店にあふれています。ビジネスマンや学生だけに限らずどんな職業・立場の人でも、広い意味での本、活字によって情報を得なければならない必要性は、高まりこそすれ低下のきざしはありません。そんな中で、誰もが「もっと読まねば」という気持ちに追われています。本を速く読みたいということは、そこでは切実な欲求のように見えます。

 しかし、一方では、「活字離れ」ということも言われます。読書アンケートの上位から近代の名作が姿を消し、古本屋では、一昔前に流行った難解な評論、小説が安値でほこりをかぶっています。電車の中でハードカバーの本を読む人は減り、スマートフォンの画面を眺める人が増えました。

 これらの現象をみると、現代人にとって読書の必要性は増加していながら、活字を読むということ自体は、かなり苦痛な作業になっているのではないかという気がします。

 明治の昔ならいざ知らず、現代に生きる私たちにとって、読書よりもずっと楽にはいってくる情報メディアは、テレビをはじめとして実にたくさんあります。そのため、読みたいという気はありながら、ついおっくうなまま過ぎてしまいます。

 また、読書には一定時間の集中が必要です。仕事に勉強にそして遊びにと、いつも追いたてられているような現代人には、読書への集中を可能にするだけの余裕が、時間的にも精神的にも不足しているのではないでしょうか。 

 しかも、読むのが苦痛だといって読まずにいれば読書の習慣はつかず、読むことはますます苦痛になります。それを乗り越えるためには、結局たくさんの本を読むしかないのだとしたら、これはとんだ悪循環です。

 「読むのが遅くて困る」という言葉は、実はこの「読むことの苦痛」を言っているのではないか、というのが私たちの考えです。

 読むことがたとえ遅くとも、本に熱中し読むことが楽しければ、別に苦にならないはずです。本の世界に没頭することができず、イライラして苦しいからこそ、もっと速く読めないものか、と悩むのではないでしょうか。

 逆に言えば、いくら本が速く読めたところで、それが苦しく、つまらない作業であったなら、誰が望んで速読など学びたいと思うでしょうか。 速読とは、まず本を楽に、スムーズに読めることでなければなりません。その結果、能率が上がり、速く読めるので、それを「速読」 と呼ぶということなのです。

本を読む能力とは

 では、本を楽にスムーズに読むためには、どんな力が必要でしょうか。

 本を読む力というものは、ふつう「読解力」と考えられています。現在、日本の小学校から高校に至る国語の授業の中では、この「読解力」の向上が最重要課題として追求されている気がします(「話す・聞く」と「書く」の学習もありますが、十分な時間がそれに割かれているとはいえない状況です)。

 それは、小説では、登場人物の心情をくみとることであったり、論理的文章では、筆者の論理を把握することであったりします。そして、それらの能力の裏付けとして、漢字の知識、語彙力、文法的な知識、歴史的な教養が必要とされ、それらを総合的に身につけさせようということで、今の国語というものの学習内容ができ上がっているのではないでしょうか。

 しかしながら、そうした国語の授業によって本当に読解力がついたという話は、あまり聞きません。 国語の試験は準備してもしなくてもほとんど点数が変わらない、と大部分の生徒は思っています。自分でうまく書けたと思ってもなぜかバツになることがあります。生徒にとっては何が正解なのかよくわかりません。うまい答案を書く生徒というのは、たいてい読書好きで、ふだんからたくさん本を読んでいるような子で、授業を熱心に受ける子とは必ずしも一致しないのです。

 能力というのは、トレーニングの量に比例してついてきますから、読解力をつける一番の方法は、結局、多く読書をすること、これに尽きると言えます。

 しかし、読書の能率を決めるのは、はたして「読解力」だけでしょうか。たくさん読書する人というのは、読解力があるのはもちろんですが、それ以前に「活字慣れしている」という印象があります。字を読むということ自体に抵抗なく、スッとはいっていけるようです。

 これをお読みのあなたがもしそういう方なら、「何だ、そんなこと、当たり前じゃないか」とお思いかもしれません。しかし、既に書いたように、現代に生きる多くの人にとって、それは必ずしも当たり前のことではないのです。

 そうした、読解力以前の「活字慣れ」としてあらわれてくる諸能力には、確かに個人差があります。それを訓練で高めることによって、読書の質を高め、能率を上げることができるのではないかというのが、私たちのメソッドの出発点です。

読書する人のための基礎的訓練=情報処理機能の改善

 読解力以前にあるのは、文字や語を見て認知する(わかる)能力です。字が読めさえすれば同じだと思われるところに、実は落とし穴があります。この能力の改善・開発によって読書の能率は格段に違ってくるのです。

 語の認知ということは、心の中の像としてのイメージの能力を含みます。語は心にイメージを呼び起こすからです。

 また、これらの能力の前提として、注意力、記憶力などを高めることが必要ですし、また、結果としても高まってくるのです。

 これらの能力は、読書に必要な情報処理機能として、まとめることができます。人間の情報処理機能を改善することによって、読書のもっとも基本的な能力をつけようというのが、当スクールが提供する速読トレーニングの考え方です。

 これは、読書をしようとする人すべてにとって、最も基礎的なトレーニングになるはずです。 BTR (Basic Training for Readers = 読書する人のための基礎的訓練)というメソッド名も、そこに由来します。

 ですから、ここで養われるものは、あくまでも読解力以前の能力です。 読解力を養う訓練ではありません。ここで養われた能力をベースにして、実際の読書をたくさんしていってこそ、本当の意味での読解力はついてくるのです。

 しかし、本は読みたいのだが、ついおっくうになってしまうと悩む人にとって、この訓練は、悪循環を脱する重要なキッカケになるはずです。

 本来ならたくさんの読書を重ねることで身につくはずの能力が、この訓練によって養われます。それにより、読むこと自体は楽に効率よくでき、好きな本をどんどん読んでいくことで、読書の習慣がついていきます。

 「読書する人のための基礎訓練」と言った意味は、むろん読書好きの人も例外ではありません。むしろ読書の習慣を持ち読解力のある人に対しては、この訓練は抜群の効果を発揮します。教室でめざましい進歩をとげるのは、まさにこうした方々です。

 「自分には読む力があるから、こんな訓練は不要だ」という考え方は、せっかくのご自分の可能性をみすみす閉ざしてしまうことです。本好きで、もっともっと充実した読書を楽しみたいという方にこそ、ぜひ試してほしい訓練だとも言えます。

速読を通して得るもの

 読書速度という形で訓練の結果を語るのは、非常に具体的でいいのですが、正直なところ、少し寂しい気もしないではありません。というのは、教室で受講生のみなさんと接していて感じる訓練の成果には、とても一分間に何千字読めたという数には還元できないものがあるからです。

 読書速度という数字自体よりも、コース修了者が喜びをもって口にするのは、たとえば、次のようなことです。

  • 本にすぐ集中でき、楽に読めるし、よくわかる。
  • 小説を読むと、物語が映画のように心に浮かんで、とても楽しい。
  • 専門書・哲学書などのむずかしい本でも、うわの空で目だけが字面を追っているということがなくなり、集中して読めるようになった。
  • 勉強や仕事の能率が上がり、やりがいが出てきた。
  • 大量の文章の中から重要ポイントを的確につかめるようになって、試験勉強でも大いに役に立った。

 訓練法自体は、多彩に楽しく学べるように作ってあります。ゲームとしても楽しめるのがBTRメソッドの大きな特色です。しかし、訓練はやはり訓練であって、遊びとは違います。そこには、自分の努力によって越えなければならないハードルが、いくつも用意してあります。その中で自ら選びとって苦しみ問題を解決していくのは、結局は、一人ひとりの力なのです。

 コースの修了者は一人の例外もなく、訓練の中で悩み、苦しみ、その末に、課題を自力解決する喜びを味わっています。

 入学のときには、からだを斜めにして机に向かい、だらしない感じだった高校生が、コースの終わり頃には、素直におじぎをして帰ります。

 何十年も仕事一筋できた年輩のサラリーマンが、教室へ来て生まれて初めて読書の喜びを知ったと、目を輝かして語ります。

 子供の受験のためにと教室をのぞきに来た母親が、自分から受講生になってしまい、訓練が楽しくてしようがない、といそいそと通って来るのです。

 そんな、一人ひとりの個性ある変化を見るのが、私たちの大きな喜びです。

 私たちの実践は、そうした自ら求めて努力する方々の力によって支えられてきた、という気がします。真剣に学ぼうとする、その気持ちに対して、実際に効果の上がる訓練法・指導によって応えていくのが、私たちの責任だと考えるからです。

 努力する人が、努力した分だけ必ず報われるのが、良い訓練法だと思います、私たちのBTRメソッドは、何よりもまず、そのことを大切に考えて作られているのです。

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無料体験レッスン

 クリエイト速読スクールでは、読書に必要な能力を一つひとつ確実に鍛えていく、地味なトレーニングをご用意しています。読書速度だけでなく、総合的能力の向上を意図したプログラムです。努力を重ねた分だけ、しっかりと成果が収穫できる設計となっています。

 無料体験レッスンでは、みなさんの情報処理能力を、種目(項目)ごとに数値化して分析することができます。ぜひ一度、教室に遊びにきてください。多彩なトレーニングをご用意して、お待ちしております。

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