父の目方「祖父の死」 | 教室ブログ by クリエイト速読スクール

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2007-05-30

日々の感想

父の目方「祖父の死」

 おととい、宮本輝選『父の目方』を読み、当ブログに取り上げようとしたのは、若い人が書いた「祖父の死」というエッセイでした。

 文庫の帯にある魂を揺さぶる真実のドラマ」という点では、また、文章自体がもつ面白さという点では、梗概を書いた3篇のエッセイを含め、他にいくつもあると思います。

 しかし、「祖父の死」には、なにかもっと人の感情を鷲摑みにする、想いの烈しさのようなものがあり、強く記憶に残るものでした。

 

 以下、全文を掲載します。

 著者、あるいは出版社から異議申し立てがありましたら、下記のタイトル以下は削除します。全文からしか伝わりにくい内容です。 


 

             ※クリエイト速読スクールHP

   

 

     祖父の死          

                                    平野 佳奈 

 

 八月の盆を過ぎた頃、八十二歳の祖父が亡くなった。

 父は、仏間に置かれた祖父の遺体を生者のように扱い、「息ができなくて、苦しいから……」と顔を覆っていた白い布を外した。

 夏の盛りであったため、葬儀会社の人が、一日に何度も足を運んでは、冷却材で腐敗しないよう遺体を冷やしていた。頬や手を触るたびにひんやりと冷たすぎた。枕元に備え付けられた祭壇にはお酒とご飯が供えられていた。見えるか見えないくらいの薄い線香の煙がゆらゆらと天に向かって昇っていった。生前、年に一度、会いに行くか行かないかですっかり疎遠になっていた。それほどおじいちゃん孝行はしていなかった。それなのに、いざ遺体を目の前にし、死んだという事実を突きつけられると身が引きちぎられる思いがした。

 これが、血というものなのかとふと思った。

 父は、二晩、祖父の隣で添い寝した。葬儀の準備などで家を離れる以外は、ずっと傍らにいた。父がいなくなると私が代わりに付き添い、線香を上げた。日が経つごとに肌の艶はなくなり、黒ずんできていた。けれど、昨日よりも、今日、安らかな顔をして微笑んでいた。

 昼過ぎ頃、再び、父は葬儀の打ち合わせのため、出ていった。線香が残り少なくなっていたため、新しいのを二本立て、ごろんと畳の上に横になった。父は、昨晩と、一昨晩枕元で何を考えていたのだろうか。二人だけで何を語り合っていたのだろうか。知りたい思いで、耳をすましたが、残響はなく、実は案外何も考えてなどいなかったのではないかと思ったりした。

 隣家の窓に並んだ三つの風鈴が交互に涼やかな音を立てていた。

 

 いつだったか父と二人で星を見に行ったことがあった。オリオン座が凍りそうな空で輝いていたので、冬の日のことだったと思う。適当な所に車を停め、オリオン座を指さしながら「真ん中に三つ並んだ星が好きなんだ」と父は言った。

 それから、「死んだら星になるとか言うけれど……誰か一人でも哀しむ人がいるうちは、自分から死んだりしてはいけないよな」とぽつりと呟いた。私が中学生の頃だ。その頃、中高生の自殺が後を絶たなかった。その日の朝のニュースでも、どこかの中学校の男子生徒がいじめを苦にしてマンションの屋上から飛び降り自殺したとのニュースが流れていた。

 私は、具体的に自殺ということを考えたことはなかったが、死をとても甘美で近しいものと思っていたことは事実だった。三島由紀夫も、川端康成も、芥川龍之介も皆、自ら命を絶っているではないか。十代、二十代の若さで老醜をさらすこともなく、人生も何も知らないまま、若くして逝く。それは蕾(つぼみ)のまま散るように、恰好いいような気がしていた。思春期の自己の誇大妄想から、今となってはささいな友人との行き違いに「どうして私のことをわかってくれないのか」と絶望したり、親なりの考えからの戒めに対し、「どうしてもっと自由にしてくれないのか」と憤りを感じたりした。そしてそれはあの頃の私にとっては、地球をまるごとこの手に引き受けたような悩み苦しみであった。そのまま短絡的に死へと直結するような危険をはらんでいた。平凡で幸せに暮らすことよりは、潔く最期に自己を表現して死ぬことに意味を見いだしたいと思っていたのかもしれない。

 父は、娘のそんな気持ちを知っていたのかどうかは知らないが、報道される少年、少女たちの自殺に警戒感を持っていたのかもしれない。

 けれど、父の言葉は心にひっかかっている程度で「私が死んだら、親だから哀しむだろうな」ぐらいにしか思っていなかった。私が死ななかったのは、きっとそれだけの動機が見つからなかっただけだった。決定的な何かがあったなら衝動的に死を選んでいたかもしれない。

 通夜の日、祖父の体を拭き、白い衣装に着替えさせた。父は葬儀社の人に指示されるまま鈴を鳴らし続けた。

 葬儀会社の人と父と二人で柩(ひつぎ)の中に祖父を入れた。

 気に入りのセーターをその上に掛け、小銭を投げ入れた。その間、父は涙を流しもしなかったが、何も言わなかった。高齢となり、他人から見て、もう死ぬのはしょうがないと諦めるほどの大往生と言われる年齢であっても、身内のものが死ぬのは、哀しい。

 その時、不意に高校生のあの日、何かのはずみで死んでしまっていたのかもしれない自分の姿が祖父の死に顔に重なった気がした。

 まだ死ぬような歳でもなく、若く、これからという可能性を残したまま、自ら命を絶った娘の死顔を見つめている父の姿だ。どうしてなのかという問いを繰り返しているような背中が見えるような気がした。気丈な父のことであるから皆の前では泣くこともなく、取り乱すこともなく、無事に葬儀を終えることだろう。けれど、哀しみはあまりに深い。

 

 祖父の葬儀の日、まだ誰もいない会場で祭壇を見つめてぽつんと佇む父の姿がドアの隙間から見えた。まだまだ話し足りないのか、なかなか離れたがらなかった。葬式が始まってしまうと後は、感情とは全く関係ないところで式は進行していった。

 読経、弔辞、遺影、これ以上、何かを見たり聞いたりしたら涙が溢れてきそうだった。柩を花でいっぱいに飾ると誰かの鼻をすする音がした。

 柩には、長男である父の手によって釘が打ち付けられた。昨日まで頑(かたく)なに生者のように扱っていた祖父を涙を堪(こら)えながら柩の中に納め、閉じ込めている姿は胸に迫った。父は、確かに祖父の子であり、私もまた父の子であるのだ。そして、私と父が親子である以上の長い年月、父と祖父は親子であったのだ。

 母は、「お父さん、次、挨拶よ」父を見守りながら気遣っていた。父は母の言葉に頷き、マイクの前で挨拶した。涙を堪える自信がなかったのか、当たり障りのない、自分の感情を少しも見せない挨拶だった。けれど、挨拶の間中、語りかけるように私の目を見ていた。

 その目を見たとき、私はかつて言われた言葉を思い出していた。

 「誰か一人でも哀しむ人がいるうちは、自分から死んだりしてはいけない」

 この言葉が意味を持って私の心の中に蘇った。そして、「あの三つ並んだ星が好きだ」と言っていたオリオン座を構成する三つの星が、父と母と私の三人のことを暗に示していたのだと気がついたとき、父の深い愛情を知った。

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