2007-07-25
2007大学合格体験記(2)一橋大学b
<小論文と速読>
速読の訓練で読書のクセがついたことは小論文に生きてきた。
抵抗なく本を読めるので、知識や常識が身につく。そして当然のこととして、考える習慣がつくのだ。
大学受験の小論文でよく言われるのは、どの生徒も同じようなことを書く、ということだ。
教科書や小論文対策の参考書で覚えた表現をそのまま引用するからである。生徒は気づかないが、そこだけ浮いて見えるらしい。日頃から考える習慣をつけるべきだが、受験生に時間はない。それなら、速読で読書すればいいと思えるようになった。
<文演>
松田先生の勧めで、クリエイトで文章演習講座(文演)を受講した。
私は、1冊の本から情報を抜き取ることよりも、筆者の創りだした世界に入り込むことの方が好きだ。同じ本を何度も読む理由がわからない、と母は言うが、小説を読む際に私にとって本当に大切なのはストーリーではない。筆者が捉えた世界を追体験するよろこびを味わうのが好きなのだ。
気に入った表現を見つけると、1日中ドキドキして仕方がない。自分にも何か書けるのでは、と思い、ノートを開いたこともある。
しかし、1ページと埋まらないうちに挫折してしまう。
私の文章は小説家のそれとは何かが違う……、でも何が?
その答えは文演にあった。
「人間はデジタルであることばを使って世界を捉えようとするが、我々が生きているのはアナログの世界だ」という表現に以前出会ったことがある。
ことばを使うと、「あの人はかっこいい」「今日はたのしかった」というように、既成の表現しか使えない。表現を組み合わせれば状況はよりリアルに他者に伝わるが、それでもことばでは私たちの生きる現実の世界を捉えきれないというのだ。
これだけ聞いていると、なるほど、とは思う。だが実感はわかないものではないだろうか。
私は文演の授業を通して、アナログの世界に少し近づけたと思う。
点から点への移動を丁寧にすることで、プロの小説家は私たちの前に世界をリアルに立ち上げているということに気づいたからだ。
文演では、他人の文章を深く読み込み、改善できる点を他の受講生と絞り出した。この訓練から、自然な日本語について学べたと思う。
日本語はきれいだ。日本語を使って生活するのなら、文演で日本語の美しさを再認識すべきである。
最近は、ちょっとした感情を自分らしく表現することにはまっている。 ―続く―
