2018-03-08
松田さんに注意を受けようと思った
第68期文演(17/9/30~12/9)アンケートです。
きょうは、2018-01-31「わかっていないことが少なくない」の第8期朝トレ受講生Kさんです。
Kさんの文演アンケート
Q.1 当講座をどんな目的で受講しましたか?
A.1 文章を書くこに興味があったから。文章を書ければ、日々の経験を材料として使えるし、そこが楽しく感じる。
Q.2 「文演」を受講して文章への印象で変わったことがありますか?
A.2 自分がいいと思っているものは、世間からズレているということ。自分は、シンプルで素直な文をもっと書くべきなのかもしれない、と感じた。只今、模索中。
Q.3 宿題の「要約」はどうでしたか?
A.3-1 「授業前」 要約を本提出する前に考えていたのは、自分が無難な要約を提出すると、授業全体で扱う要約の幅が狭くなるかもしれない、ということだった。それなら、自分の言葉で言い換えをして、松田さんに注意を受けようと思った。
本提出3日前から、そういえば、という感じで文演のアンケートを読み始めた。過去の文演アンケートとは要するに、松田さんの指導が映り込んだものだ。それを読みながら要約に修正をかければ、良いものが出来るかもしれない、と思った。そこからは、アンケートを読んでは要約を書き直しの繰り返しであった。締切が迫り、熱が入る。一人で勝手に楽しくなりだした。
気分転換に文演第1回に配られた、お手洗いの使用法についてのブログを読み返していると、「一人ひとり、隙のない態度を」と書かれた部分に目が止まった。あれ? と感じたのだ。要約課題文に、「自分の文章を活字にする時は、厳しい心構えを」といった内容がある。この2つにどこか共通したものを感じる。もしかして、松田さんはこんなところにも要約のヒントを隠しているのか。面白い。
その辺りから要約があらぬ方向へと舵を切っていたのだと思う。
本提出を終えた時に感じたのは、よくがんばったなという気持ちと同時に、やりすぎたか、というおぼろげな不安だった。だが、後の祭りであった。
A.3-2 「授業後」 自分の直感を働かせつつ、要約を作り込む。論理とは物事と物事、言葉と言葉を密につなげるもの。論理的とは「隙のない」とも言えるのではないか。松田さんは私たちに論理的な文章を書かせるために、一見目立たないプリントにまでヒントを忍ばせていたのか。大真面目にそう考えながら、私は一人充実感を得ていた。
そういう本人だけの頭の中のお話を、客観的に見れば何というか。「思い込み」というのである。
私の要約は思い込みが強い、という指摘を受けた。私は思い込みが強い。いや、私は昔から思い込みが強かった。その実感を急に思い出した。抑圧の典型である。
敢えてそこを良くいえば、相手が思ってもいないことを自ら学びとっている、ということだ。ということにしたい。松田さんに指摘を受けてからは、なぜ自分はこうなのか、とずいぶん考えることになった。私は、目の前のことから何を学ぶかにその人の自由がある、むしろ、まったく関係ないことを一人で勝手に学んでいるくらいの方が、笑って生きていけるのではないか、と思っている。勘違いこそ楽しいのではないか、と思っている節さえある。どうやら、そことぶつかっているのではないか、という結論にいたった。
何を学びとるかは自由、というのはある意味正しい。だが、文演とは、筆者の主旨をどこまでシンプルかつ素直に汲み取っていけるか、という皆での挑戦の場所だ。私は時と場所を大分間違えたと思う。文章について学んでいたはずが、いつの間にか自分のトンチンカンぶりを学ぶことになったのだ。非常に複雑な気持ちだ。
Q.4 全体的な感想をお聞かせください。
A.4 文演の生徒の中に、優秀な中3生がいた。表情がとてもいいし、話が面白い。自分が中3の時はああではなかった。悔やまれる。ちなみに、私がいまだに人から言われる言葉に、「挙動不審」がある。
SEGの生徒とはああいうものなのか、と思う。頭が良くて、生意気。SEGの講習を持っている松田さんは、きっと楽しいことだろう。5日間で急激に変化する彼らを間近で見るのだから。それだけではない。松田さんは非常に負けん気の強い方だ。「大人なめんなよ」とばかりに、高校生らと一緒に奮闘するのが好きなはずだ。私なら間違いなく、「大人ですみません」とばかりにしおれていくが、松田さんはきっと、笑顔とともに生き生きしているのだろう。
今度の講習は満員とのこと。ブログでの報告、秘かに楽しみにしている。
一つ心残りがある。文演の授業前に必死に準備する松田さんの姿を見たことがあった。授業を通して伝えたいことがあるからだと思う。今思うと、申し訳ないことを自分はしてしまった、という気持ちになる。
アンケート、一応、書いてみました。これからもよろしくお願いします。
「頭が良くて、生意気」の「生意気」は、教室内では何を書いてもいいため多少の「生意気」表現も出てきます。そのかわり真剣に打ち込むことが交換条件になっています。
Kさんとは、これからずっとつきあっていくんだろうなー、という気がしています。
たとえ生徒さんでなくなっても、ある日不意に遊びにきてくれるような感じで細く永く
文演の最終回は、一人ひとりが精いっぱい書いた要約を通して、こちらが学んできたことを伝えることができる場です。
あさっては、第69期の文演最終回。
こちらが何かを言っても、Kさんのようにケロッとして受けいれる部分は受けいれて、幅を拡げていってほしいです。
真
