2007-01-30
なおしのショートショート「鼓動」
小川なおしさんの紹介のために、もうひとつ。
こちらが『卒論はキェルケゴール。いまどきケイタイを持たない人……』などと紹介するより「作品」でと、ご本人了解の上の掲載と相成りました。
これから、なおしさんには「書評・お薦め本」をお願いしています。
鼓動
小川 なおし
彼女の心臓の音が聴きたかった。
Tシャツの上からそっと耳をあててみると、柔らかな肉の向こうから、ドクッドクッと響いてくる。耳に音として届いているのか、それとも震動として感じているのか、どちらかわからない。
どちらでもいい。ぼくは音楽を聞くときのように、ボーッと集中して、その音に入り込んでいった。ドクッドクッという音が規則正しく続いている。遥か遠くからやってきたような懐かしい響き。ふいに、彼女に対して、今までと違う気持ちが湧き起こってきた。
どのくらい時間が経ったのだろう。すっかり、われを忘れていた。ふと顔を上げると、彼女が不思議そうな目をして見おろしている。
「生で聴かしてくれない?」
何か言わなくてはと思ったのだが、自分でも予想のしない問いを発していた。返事を聞く間もなく、彼女のTシャツをたくし上げた。お椀状の乳房が、無防備にこちらを見ている。おっと今回はそういう気分ではない。耳をまた押しあてる。
Tシャツ越しの感触は、肌のぬくもりを暫し保っているため、ほのかで優しい暖かさであった。ところが、じかに皮膚に触れると全く違う。肉体が圧倒的に迫ってくるのだ。肉だけでなく、肌も産毛も自己主張を始めている。体温が、今の温度で伝わってくる。音も、確かに大きく聞こえてくる。
いつからか動き出したこの心臓は、いつかは力尽きるのだろう。でも、今この時は、勝手に動いてくれている。
「かわって」
聴かれることに飽きたのか、自分も聴きたくなったのか、今度は彼女が僕の胸に耳を当ててきた。
頭の重さを胸で感じている。ずいぶん長いこと聴くものだ。そうか、ぼくもそうだったのだろう。
ぼくはこの時の気持ちを口に出そうとした。けれど、思い浮かんだ言葉はみんな嘘っぽくて、仕方なく黙っていたのであった。
なおし
※小川なおしさんのサイン(花押)は「
なおし」にしてみました。今後は、「
なおし」だけとなります。
は雨の中でもニッコリだからなおしさんぽいかなとつくってみました(goo絵文字が少ないというだけですが
)。ちなみに、松田真澄の「
真」は、この組み合わせにうっすらとした偽善性がある感じがして、まあふさわしいかなと。
真
