2007-06-16
吉本さんの本、読んだことありますか?

と若いときに読んでおくと、実用書の類はスルスル入ってくるようになります。<おちおち死んではいられない>
◇反省し、死の答え探求--批評家、82歳・吉本隆明さん
◇最も重い罪悪感は、ペンで友人、身内を精神的に殺してきたこと
お寺の脇の路地。日だまりの中に、腰を90度に曲げた老人がいる。静止画面のようだが、歩く練習をしているようだ。東京・文京区の午後。よく見ると吉本隆明さん(82)だ。声をかけようとしたが、気後れした。つえのつき方、地面をにらむ顔が思いのほか必死だったからだ。
半時間後、木造住宅の座敷に通された。「目が悪くなって、つえつかないと道を歩くのもおっかなびっくりで、ひでえもんだなあって思うんですけど」。そう言いながらも、吉本さんは色つやも良く、衰えは感じられない。
撮影のため、小さな書斎を見せてもらう。書棚には仏教関係の書が目立つ。上の方にはアルゼンチン作家、ボルヘスの小説なども山積みにされている。文字をスクリーンに大写しにする装置が机に備えつけられ、手元には拡大鏡もある。机にあるのは、かなくぎ流の小さな文字が詰まった原稿用紙だ。昭和天皇の歌集「おほうなばら」についての批評だという。
「昭和天皇は歴代の天皇の中ではうまい方ですよ。米沢高等工業学校に通っていたころ歌っていた山形県民の歌に『最上川』っていうのがあったんですが、いい歌だったんです。作詞は昭和天皇だと後で知ったんです。それで『おほうなばら』を読んだら、600ほどの歌のうち、いいのが数十はあった。生物学者ですから、草花や鳥を歌ったのがいいんですが、統治者意識の出てるのはダメですね」
壁に目をやると、女性の豊かな乳房と笑みが飛び込んできた。女性のヌードカレンダーだ。
「お、これは。先生も、かなり好きなんですね」
「はあ? 何でしょうか」
「いや、これですよ、これ」
「いや、ちょっとどうも、目が悪くて、よく見えなくて、拡大鏡で見ないと……」
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「書くことと死について一つお話を……」と本題に入ると、吉本さんから堰(せき)を切ったように反省の弁が出てきた。話のとっかかりに、吉本さんが著書「新・死の位相学」(97年、春秋社)で引用したフランス人作家の言葉をぶつけたためか。その言葉を要約すると「死を身近にし、冷静にそれを見つめた人こそが、書くという芸術をきわめることができる」というものだ。
死に目に遭ったり、身近な人が壮絶な死をとげた時、人は何かを書きたくなる。書くことと死は関係があるのだろうか。
「僕の場合、戦争で兄貴も学校の先生も友達も死んでますから、僕ら(20歳前後で敗戦を迎えた)戦中派は『死の世代』という感じがある。でも、僕は死に匹敵するほど書いてきたのか。できていないと思いますね。その作家は僕より上等ですよ。はるかに突き詰めています。フランス人は30代を過ぎたころ、死を相当考えますが、日本人はぽかあっと過ごしている」
吉本さんの語りは、同じ話を繰り返したと思うと、一気に転調する狂詩曲のような趣だ。
「長年の僕の読者が電話をかけてきまして。『自分は交通事故でひじから先をなくしたけど、どういうことかわからない。教えてほしい』と言うんです。だけど、僕は何も答えられない。精神的な言葉を求めているのに、何も言えないんです」
「6年くらい前、僕のめい、つまり兄の娘が子宮がんで亡くなる前に見舞いにいったんです。めいは自分の置かれた状況の意味について聞くんです。彼女は自分が長くはないと知っていたんです。だけど僕は全く答えられなかった。黙ってうつむいちゃった。そのとき僕は『ああ、おれの書いているモノは下らないんだよ。こういうことに答えられないんだから。そういうのは意味がないんだ』と、反省したんですよ」
死生観を国や社会といった大きな枠ではなく、あくまでも身の回りの、身近な世界から見いだそうとする。「知の巨人」と呼ばれた批評家は、死を一般論で語ることは意味がない、と言っているように思えた。
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96年8月、伊豆西海岸でおぼれ、ひん死の体験をした直後の入院日記にはこう書いている。
<べつに苦しいという意識もなしに溺死(できし)するということは、誰も傷つけない、いい死に方なのかもしれない。ことにひとを傷つけることを常習にしたような文章ばかり書いてきたわたしにとってはそうおもえる>
死から生還した時の最初の独白で、吉本さんは「ひとを傷つけること」への罪悪感を吐露した。死への接近が、罪の意識をもたらしたのか。
「20年以上も前、(作家の故)埴谷雄高さんに『君、人をバカ呼ばわりするのは良くないよ』と言われました。論争で誰彼かまわずけんかを売ったことを言われたんです。だけど、僕は元々下町育ちの悪ガキでしたから、その時も反省しなかった」。でも、死にかけて最初に思ったのは「ペンで人を精神的に殺してきた」ことだ。中でも最も重く残る罪悪感は、友人や身内に対するものだった。
「仲のいい友達の奥さんを僕は、まあとっちまって結婚したから。その友達は一生、変わっちまったわけだし。それを公に告白したら、詩人の谷川俊太郎が『恋の勝者の告白だな』って言ったんです。『その人を一生、精神的に狂わしたと言えるんだよ』って。僕が人を傷つけたということを考えるとき、これが絶えず最初に来ます」
「あと、おやじが事業に失敗して九州から東京に出てきたときも助けられなかった。おやじは船大工になったけど、借金でもう故郷に帰れない。数百万円くらい僕が出せれば、金は返せたんだろうけど。もうかる商売をやってたら救えたのに、と。これも殺したって感覚、ありますね」
海でおぼれた後、それまでにないリアルな夢をみた。
「ベッドに寝てる僕の首をおやじが絞めるんです。僕は『おれ、何かわるいことしたかよ』って弁解しているのに、おやじは何も言わずに首を絞める。一度も故郷に帰せなかったのが、ひっかかっているんだと思ってね。それと、全然、顔のわからない女の人がベッドの脇に立っているんです。『どなたですか』って聞く自分の声で目覚めるんです」
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82歳のいまも毎日、読み、書き続ける。「めいが死んでから一生懸命、死について考えてきましたが、まだまだ、何も答えられない。でも、いつか必ず、そういう身になりてえもんだって。で、がんばりゃ、なれるって気もするんです」
国を語る前に、身の回りを考えろ。身内の一人も救えないで、何の言葉だ、国家論だ。吉本さんは、そんな境地にあるのではないだろうか。 【藤原章生】
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■人物略歴
◇よしもと・たかあき
1924年東京生まれの詩人、批評家。東京工大卒。国家、都市、宗教、ファッションなどを批評。80年代には文学者の反核運動を批判した。90年代から語りの本が増え、老いや恋愛もテーマに。主著に「言語にとって美とはなにか」「共同幻想論」「最後の親鸞」「ハイ・イメージ論」など
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毎日新聞 2007年6月15日 東京夕刊

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