2008-09-06
なおしのお薦め本(69)『旭山動物園園長が語る 命のメッセージ』
クリエイト速読スクール文演第1期生の小川なおしさんから、お薦め本が届いています。今回も「オマケ」つきです。
評判の動物園の園長の語り下ろしです。ここぞ、というところを引用します。
「……僕たちは、動物たちが弱って動けなくなって死ぬところまできちんと展示します。動物の老いも隠さないし、死を伝えることも全く厭いません。なぜかといえば、死を伝えることなくして、命を伝えることなどできないからです。
昔、動物園で飼育していたオオカミが、一頭だけ生き残りました。その一頭も、もう年をとってよぼよぼで、ガリガリに痩せて、立って歩くのもやっと、見るからに辛そうな状況でした。でも、寝室の扉を開けると、そのよぼよぼのオオカミが、自分の意思で運動場のほうに出てくるのです。そして、畳んだ麻袋と藁で作ったベッドに、ばたっと倒れるようにして横たわり、一日昼寝をする。それで夕方になると、よっこらしょと立って、また寝室に戻っていく。こういう日々を過ごしていました。
すると、このよぼよぼのオオカミを見たお客さんの中から、『どうしてあんな状態の動物を見世物にするのか』という批判が出たのです。
でも、僕はオオカミを見世物にしている気はさらさらありませんでした。
命は、生まれた瞬間から死ぬ瞬間まであります。命というのは目に見えるものではないから、命の入れ物を見るしかありません。命が去った入れ物は腐っていきます。命があるかないかは、生きている入れ物でしか見られないのです。出ていった命がどこへ行くかは誰にもわかりません。宗教の世界ではいろいろなことが言われていますが、どれも証明はできません。
ただ、少なくとも生き物の中には命がある。これは間違いありません。だから生き物は貴重なのです。そして、命がどこかへ行った瞬間に生命活動が終わる。そうすると不思議なことに、命の入れ物であった肉体はぼろぼろと崩れて最終的には何もなくなってしまいます。それを全部認識しないと、生と死の意味はわかりません。
動物園で何かの動物の赤ちゃんが生まれたときだけ『生まれました!』と宣伝してお客さんを喜ばせ、いざ死にそうになったら、今度はかっこ悪いからと言って、奥にしまって見せないようにする。そして、その動物は人知れず死んでいく。そんなことをしていたら命は伝わらないと僕は考えています。動物は本当に堂々と死んでいきますよ。『じゃあな』と言って去っていくのです。
オオカミが、運動場のほうに出たいという意思を持っているなら、その意思を尊重しない道理はありません。そこは狭いかもしれませんけれど、彼らのための空間ですから、彼らが『もういい』と言うまではその中で過ごさせてやるべきなのです。彼らはお客さんに見てもらおうとも思っていません。たぶんお日様に当たって気持ちがいいから運動場のほうに出てくるのでしょう。少しの餌を食べて、また寝る。動けなくなったら、それを無理して僕たちが引っ張り出すようなことは、もちろん絶対にしません。そのときには『動けなくなりました』と看板を書いて掲示します。死んだら、『死にました』とお知らせをします。そして『このオオカミは、いつどこで生まれて、両親は誰で、生きている間は、誰と何頭の子供を作って、いつから何の病気になって、あるいは老衰になって立てなくなって、その何日後に死にました』というニュースリリースを作って、報道機関に報道依頼をします。新聞社は、それをちゃんと黒枠で写真を掲載して記事を書いてくれます。
旭山動物園では、ずっとそうした活動をしてきました。死んだときに死んだことを認識してもらわなかったら、生きているときに素晴らしい生き物だったということがわからないままになってしまうからです。死んだことに気づいてくれれば、命というのは、生きているときだけ輝いていて、死んでしまったら入れ物が腐ってしまって、決して逆戻りはしないのだということがわかるでしょう?」
こんな園長がいる動物園なら行ってみたい、と私は思いました。
なおし
■参考記事
※もりぞう爺さんの話(上)
オマケ
―なおしのメール―
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松田さん、こんばんは。
ひさしぶりのオススメ本です。
引用部分は、読んでいると涙が出てくるんですよねえ。私の涙が何ほどのものか、ということはあるのですが、そういうことはあまりないものですから、ちょっと長いけれど引用してみました。
カラー写真も多くて、見ているだけで楽しい本です。表の帯を外すと、絵本作家あべ弘士さんのイラスト(動物園の全景)があり、ちょっとトクした気分になります。
それではまた。 小川
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