父親の誕生日に | 教室ブログ by クリエイト速読スクール

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2009-05-29

日々の感想

父親の誕生日に

 私の父親も健在であれば、きょう29日、84歳の誕生日を迎えていたはずです。亡くなって、すでに8年もたちます。最近、よく思うのは、「あの人は、(自分の齢と)同じ齢のときに何を考えて生きていたのだろう?」ということです。

 と、2年前「父の目方」というブログ2007-05-29 の最後に書きました。

 その日から2年。

 父親の誕生日のことになると、不思議に3~4日前からカウントダウンしています。(昨年12月に逝った)母親の誕生日などは振り返りもしないのに。

 
 
三つ子の魂百までとか鉄は熱いうちに打てとかいう諺があります。

 父親の誕生日に何かを思うというのは当たらずとも遠からずで、この「三つ子の魂」「熱いうちに」なのではないかと、今朝ボヤーッと雨をながめていて思いつきました。

 これまで、母親の誕生日をスルーして(いつもまるっきり忘れてしまっています)、父親の5月29日をいつもアレコレ思うということに、(父親の誕生日当日になると)やはりヤマシサのようなものがありました。

 しかし、これは母親の、長い目で見た、いわゆる教育的指導であったのではないかと思いついたというか、気づきました。

 まだ小学生のころ、母親は「きょうはお父さんの誕生日だがら、晩酌一本多くしてあげっぺー」とか、「あしたは、お父さんの誕生日、お前だづ何か用意してるがあー」とか、「お父さんがいるがらお前だづは安心して学校に行げんだがら、年に1回ぐらいちゃんとおめでど・ありがどと言葉にすろなー」とか、父親の誕生日周辺でよく言っていました。

 こういうことはこちらには当たり前のことで、そこから先に思いをめぐらすなどということは、きょうのきょうまでありませんでした。

 50年近くもたって、今朝ふと、母親のタクラミのようなものが理解できた気がしました。


 自分の誕生日についてなど、話題にすることがない人でした。また父親も、大昔の人間ですから、自分の妻の誕生日を子どもの前で話すということもありません。たとえそれらしきことがあったとしても、父親へのものからすれば小さなもので記憶に残っていません。


 年に一度くらいハッキリと父親の偉さ大変さを自覚させる、ということだった気がします。

 子どもをもたなかったからか、半世紀近くもたってわかりました。 
   
 




 

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